ボールが主役。選手が主役

 【4月10日】

 元日本テレビアナウンサー多昌博志(たしょう・ひろし)が多発肝腫瘍のため63歳の若さで逝去した。巨人戦や箱根駅伝で名調子を楽しませてもらった一視聴者として寂しい思いが募る。

 かつて野球中継といえば地域を問わず、専ら巨人戦だった。多昌の実況の心地良さは関西でもお馴染み。大阪の読売テレビで若かりし頃からその背中を追った名アナウンサーから「師」との思い出を聞かせてもらった。

 「私が入社4年目で初めて実況したのが高校サッカーだったんですけど、その頃は本当に自信がなくて、いつ辞めようかと思っていたくらいで。そんな私に何度か声を掛けてくださったのが多昌さん。だから、当時思い切って多昌さんに感想をいただいたんです」

 これまで阪神戦の実況でも視聴者から好評を博してきた小澤昭博である。

 30余年前、小澤は実況デビューした高校サッカーの録画ビデオに手紙を添えて多昌に郵送した。すると間もなく便箋3枚の封書が返ってきたという。その3分の2は褒め言葉。残り3分の1には「次は○○してみようか」。小澤にとって多昌は同郷神奈川の先輩でもあり、手紙は今もアナウンス室のデスクに宝物のようにしまってある。

 さて、悲痛の小澤に阪神戦を取材する旨を伝え、バンテリンドームの試合を追えば最後にドラマが待っていた。

 1点を追う九回2死、土壇場で代打前川右京が打った。今シーズン初安打が智辯学園の先輩・村上頌樹の粘投を救う「逆転打」になった。中日のクローザー松山晋也の初球を捉えたわけだが、この打撃こそが右京本来の持ち味だ。直球を待ちながら甘いフォークをいわゆる「反応で」すくい上げる。ストロングが光ったかっこうだが、右京の勝算はこの回のベンチワークにもあったような気がしている。

 それまで3三振だった7番坂本誠志郎のところで代打もあるかと思って見ていたが、藤川球児は9番まで右京を取っておいた。佐藤輝明から始まる攻撃で8番の高寺望夢まで松山は打者5人に計17球を投じ、うち7球がフォーク。今年初対戦の守護神は速球の球速が従来ほど出ていなかった。目慣らし十分で打席に入ったことも追い風になったのでは?それにしても、一発で仕留めた右京は素晴らしかった。

 そんな右京の先輩村上は立ち上がりから制球が定まらなかったが、それでも尻上がりに建て直し、ゲームをつくったのはさすがエースである。

 名調子、多昌博志ならこの逆転劇をどんなふうに実況しただろうか。そういえば、多昌は中央大出身。「後輩」森下が六回に描いた負けん気の軌道はやっぱり嬉しかったに違いない。

 「小澤…。視聴者の心にしっかり伝わるように喋ることが大事だよ」

 多昌から小澤への手紙、残り3分の1の「○○」にはそんなことが書いてあったという。データなど準備の大切さは説くが、いざ、実況席という打席に立てば、ボールが主役、選手が主役…。「目の前」に反応するのみ。それがプロの矜持だという。=敬称略=

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