湯浅は球児のデザインに応える

 【1月18日】

 沖縄で湯浅京己と会った。というか会いに行った。取材というより新年の挨拶をしたくて。元気だった。肌艶も良かった。安心した…って、親の境地みたいに書くのもおかしいか。

 「いつまでこちらに?」

 会いたい人に会ったから帰るよ。

 「気をつけて…」 

 ありがとう。頑張って…。 

 湯浅とは体内チャンネルの波長が合う。だから緩急のタイミングが心地いい。こっちが勝手にそう思っている。

 オフの心持ちはとても穏やか。でもその隙間スイッチがいざオンになれば顔つきは一変する。そんなギャップにやられるファンも多いのでは?

 さて、こちらもスイッチをオンにして昨シーズンの湯浅に触れてみる。着目は登板試合数。彼がマウンドに上がったのはちょうど40試合。これをどう見るか。本人にとって及第の数字…いや、実はもっといけると思ったか。

 24年に国指定の難病、黄色靱帯骨化症を発症し、手術に踏み切った。リハビリを余儀なくされた同年の登板はゼロ。それを思えば、25年のバリューは信じ難い。それが僕の感想。カムバック賞を湯浅に…。そうも思っていた。

 では、藤川球児は「湯浅の40試合」をどう考えていたのか。

 実はこれ、指揮官が計算尽くでデザインした数字だった。湯浅本人はあらかじめ聞かされなかったかもしれないが、取材の限りの事実である。

 球児という指導者は雑念のない勝負師だと思う。だからこそ勝つ為にまず選手のコンディションを精緻な計測器にのせる。当然こちらはそれを知らない。いわば病み上がりの右腕をどんなふうに起用するのかドキドキで見守っていた。超一流の経験に裏付けされた慧眼で「レスト」を指示し、シーズン3度の抹消をこれ以上ないタイミングで本人に伝えた。プランは39試合でも41試合でもなかった。寸分の狂いなく遂行するあたり、巧緻に唸らされる。

 「右の速球派リリーフの台頭が必要です。チーム生え抜きの右のリリーフを育て上げる責任があるかな、と」

 日本シリーズを終えたばかりの球児はそう語った。昨秋のキャンプで安芸のブルペンをのぞけば、工藤泰成や木下里都、椎葉剛ら期待の候補者を相応の熱量で指南する姿があった。

 そんな指揮官の言と動は、当然、湯浅の胸に響く。

 昨年のこの時期と比べれば「だいぶ動けている」という。このオフは沖縄へ来る前からウエートトレーニングの強度を上げた。病のディスアドバンテージを筋力でカバーしたい。そんな攻心が見える。症状はいつ出るか分からない。また、ゼロの日もない。体調の浮き、沈み。何がどうなればそのメーターに差異が出るのか。専門家でさえ処方箋を説明できないから難病といわれる。果たして筋力の数値を高めれば補えるものか。試さなければ誰も未来を予知できない。公私ともにメンタリティーはきつい。が、26歳は沖縄で流した汗を信じて立ち向かう。仮に球児が湯浅のリミッターを「50試合」に据えればそれに応えるべく。=敬称略=

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