小久保が欲した虎の頭脳
【10月26日】
ヒルトン福岡シーホークのラウンジ「seala」でホットコーヒーを飲んだ。シリーズ第2Rの試合前だ。ガラス張りの高い天井を見上げながらふと思い出したのは12年前のこと。
取材の限りを書けば、常設化された侍ジャパンの初代監督が決まったのは「みずほペイペイドーム」に隣接するこのホテルである。
13年の秋、窓外に博多湾を望む上階のスイートルームで交渉のテーブルについたのは三者。NPB事務局の山岸均、沼沢正二から誠意をもって口説かれたのは当時監督経験のなかったホークスのレジェンド小久保裕紀だった。
あの年の春、WBC3連覇を狙った山本浩二率いる日本が準決勝で敗退し、その後任に小久保の名が挙がった。
「(小久保は)フレッシュでクレバーな印象。実績、経験は申し分ないし、リーダーシップに期待している」
阪神からNPBに出向していた沼沢(事務局次長兼侍ジャパン事業部長)はそう語った。ソフトバンク球団会長で侍ジャパン特別顧問だった王貞治に電話を入れ、小久保招聘の承諾を得たうえで福岡へ飛んだのだ。
「自分自身がその立場になったイメージが全く湧いてくることがなく、ただただ驚きました」
そう話した小久保は「日本野球のために…」とラブコールを送られ、快諾するわけだが、この交渉のテーブルで特筆したいのは、小久保が侍ジャパンのコーチ人事で一点だけ自身の希望を語ったことである。
「矢野さんにバッテリーコーチをお願いできないでしょうか」
おそらく、そんなふうに言ったのだと思う。阪神で現役引退後、コーチ経験のなかった矢野燿大だが、小久保はどうしても矢野の経験値と頭脳が欲しかった。
阪神で戦った者が世界一を目指すチームの一員に呼ばれる。選びたいと思わせる。コーチであれ、選手であれ、そんな栄誉なことはない。
阪神はかつて巨人時代の小久保によく打たれた。歴代の名打者がそうであるように、現役時代は捕手との駆け引きを「楽しんでいた」と聞いた。だからこそ、虎の「扇の要」との対戦がずっと心に残っていたのだろう。
今シリーズで小久保は「坂本誠志郎との戦い」に挑んでいると思う。坂本が矢野の薫陶を受けたことはよく知っているし、だからこそ警戒もしているはずだ。
さて、第2Rは出鼻をくじかれた猛虎だが、もう過去のこと。坂本は試合後こんなふうに語り、前を向いた。
「思い通りにいかないこともありますし、思い通りにいくこともある。やって、やられての繰り返しというか、やられないほうがいいんですけど、やられたことで、気付いたことを生かしていける。同じ相手とこれだけやるというのは、そこにヒントもあるのかなと思うのでまだまだこれから…」
第3戦は必ずまた「接戦」に戻る。
競れば負けない。そんな強虎を率いる頭脳が小久保の前に立ちはだかる。=敬称略=
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