津波にのまれた彼女から

 【1月22日】

 先週、女性から突然LINEが届いた。冒頭「こんにちは。大変ご無沙汰しております」と記してある。が、残念ながらどうも記憶が追いつかない。文面を読み進めてみると…。

 あっ!仙台の…。

 11年3月に宮城の沿岸部で被災し、津波に流されました-。仙台在住の阪神ファンからデイリースポーツにそんな手紙が届いた。14年春のことだ。そこには衝撃的な悲劇が綴ってあったわけだけど、九死に一生を得た彼女の直筆でこう添えられていた。

 「御社評論家の金本さんが解説で仙台に来られたときに、できればお伝えしたいことがあります…」

 彼女の名は神白愛美(かじろ・まなみ)。東日本大震災当時は、東北福祉大3年生の21歳。仙台出身で阪神タイガース、金本知憲の大ファン。アニキの「後輩になりたくて」福祉大へ進学したという筋金入りだった。

 3・11は、南三陸でドライブを楽しんでいた際に車ごと大津波にのみ込まれた。若林区の自宅も倒壊し、「宝物だった」KANEMOTOと刺繍されたユニホームも波に流され…。

 知人や近親者を亡くし、心身に大きな傷を負った彼女が懸命に立ち直るため拠り所としたのは、タイガース、そして、憧れのアニキだった。

 「金本さんはお元気ですか?私はあれから結婚して今は獣医を目指して大学を受験しようと頑張っています。吉田さんの電話番号が残っていてLINEに出てきたので、思い切って連絡させていただきました」

 あの手紙が届いた14年。交流戦の解説で金本が仙台へ行った際に束の間だったが、神白の念願は叶った。

 金本「え?車ごと流されたの?」

 神白「は、はい…」

 いま33歳になった彼女は、あの日のやり取りを「緊張していて、ほとんど記憶がない」。ただひとつ、こんな願いを伝えたことだけは覚えている。

 「金本さんに勇気をいただきました…いつか阪神の監督をしてください」 この10年間、様々なことがあった。世の中も、阪神も…。神白は言う。

 「私、余計なことを…。金本さん、監督やりたくなかったんですよね。あんなこと言って後悔しています」

 記憶が甦る。確かに彼女はそんな話をしていた。が、金本は苦笑い…。僕は心の中で「阪神の監督は…やらないでしょうね…」とつぶやいていた。

 あれから10年が経った。彼女のように、能登半島の震災に心を痛める三陸の被災者は多くいらっしゃる。

 95年、11年、16年、そして今年…。何度も希望を失いかけた日本列島に光をもたらしてきたプロ野球である。

 「金本さんと話をさせてもらってから胸のつっかえが取れて、『私も生きていいんだ』と思えるようになって」 そういえば、この日「神戸ルミナリエ」がコロナ禍を経て4年ぶりに復活したというニュースを見た。19日に神戸市中央区などで開幕し、28日まで幻想的な光に95年の被災地が包まれる。キャンプへ行くまでに見に行きたい。

 「私、2月に沖縄へ行こうと思っています。ようやく海を見るのが怖くなくなって…」

 ぜひ…。金本監督時代に研鑽を積んだ選手たちが岡田阪神で輝いている姿を見に来てください。=敬称略=

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