半年でテレビを二台
【4月5日】
腹が立ってモノに当たりたくなったことある?そう問われたら、大方は「ある」と答えるのではないか。けれど、皆さん、当たるモノは選ぶはず。電化製品…とくにテレビやラジオはないなと思う。
プロ野球開幕の翌日、神戸新聞のコラム「正平調」に作家・田辺聖子の言葉が引用されていた。
「タイガースの負けっぷりに腹を立て、半年の間にテレビ二台、ラジオ三台、叩き壊した」方もおられたらしい◆「こういうのに限って、ごひいき球団は、というとへへ、一応阪神、などとつつましい」(「楽老抄」)-。
テレビかどうかは別にして、阪神が負ければ、しかも、明らかに優勢なのに、ひっくり返された試合などあれば、虎党は何かモノに当たっているのでは??そう思わせるほど、僕のTwitterにも荒れた声が届いたりする。
さて、きょう、21年シーズンの「伝統の一戦」が幕を開ける。
矢野燿大がはっきり「意識します」と語る巨人戦である。当然、そうあるべきだけれど、僕の知る限り、シーズン最初のTG戦で強烈なインパクトとして残るのはやはり、2003年のそれだ。
4月11日の巨人対阪神①戦(東京ドーム)は、星野阪神が6点リードで迎えた九回裏に悪夢が待っていた。2点を返され、なお2死一、二塁で吉野誠が仁志敏久を2ストライク(ノーボール)に追い込むと、ここで星野仙一がベンチを出て「藤川!」と告げた。勝利まで、あと1人、2ストライクからの継投だったが、この策は裏目に出る。その後、藤川球児が同点被弾し、延長十二回、ドロー。
星野は試合後、当時阪神のチーム宿舎だった赤坂プリンスホテルの一室に選手、スタッフを集め、全員の前で頭を下げた。
「俺が悪かった」-。
あの夜、星野は悔しさをモノにぶつけなかったのだろうか…。
試合中、ベンチの扇風機を殴り壊したり、目の前の椅子、灰皿を蹴り飛ばしたりは、誰もが知る。そこにテレビやラジオがあれば、犠牲になるのは半年に2台どころではなかった…と想像できる。
星野の激情が巨人戦になれば倍増、三倍増になったことは、矢野はもちろん、当時星野が蹴り上げたベンチに決まって座っていた藤本敦士(現阪神内野守備走塁コーチ)もよく知る。「これはくるぞと予想できることもあった」と、藤本の述懐を聞いたことがある。
「どれだけリードしていても、俺がベンチで厳しい顔をしているというのは、4月11日の反省があるから…。最後まで『勝った』と思ったらあかんぞ、と自分に言い聞かせていたんだよ」
優勝した03年秋、星野はそう語っていた。悪夢の4・11…その翌日から巨人に連勝した阪神はそのまま秋まで首位を譲ることなく、星野は甲子園で宙に舞ったのだ。
巨人に勝ち越して優勝する。
虎将が背負う「十字架」だ。
現監督が扇風機をぶち壊す?矢野に闘将ばりの激情がないことはないと思いながら、今年の巨人戦を追うことにする。=敬称略=