おかえり!阪神・湯浅 難病乗り越え544日ぶり1軍登板 大歓声背に最速150キロ「やっとまたここから始まる」
「中日4-1阪神」(29日、バンテリンドーム)
国指定の難病「胸椎黄色靱帯骨化症」から復帰を目指していた、阪神の湯浅京己投手(25)が中日戦(バンテリン)の七回からマウンドに上がり、2023年11月2日の日本シリーズ・オリックス戦(甲子園)以来544日ぶりとなる1軍登板を果たした。最速150キロの直球で1回1安打無失点。チームは9連戦初戦に敗れ、ビジター連勝も「8」で止まったが、鉄壁のブルペンに新たな力が加わった。
「ピッチャー、湯浅」-。緊張で頭は真っ白。顔はこわばる。「何も覚えてない」。それでも湯浅の耳にファンの声援は届いていた。「ありがたかった。戻って来られたというか、やっとまたここから始まる」。23年11月2日の日本シリーズ・オリックス戦以来544日ぶりの1軍登板。レギュラーシーズンでは23年6月15日のオリックス戦以来684日ぶりとなるマウンドを踏みしめ、大歓声をかみしめた。
3点ビハインドの七回。先頭の木下を2球で追い込んだが、中前打を許した。代打・山本の犠打で1死二塁。「絶対に点はやらん」。得点圏に背負った走者は、さらに右腕をアツアツにした。岡林は三邪飛。板山にはこの日最速の150キロを計時した。最後は遊ゴロに斬って無失点。息を吐いて笑った。
昨年8月に胸椎黄色靱帯骨化症の手術を受け、退院後は鳴尾浜でリハビリ組の生活が始まった。練習は制限付きだったが、一日でも早く復帰するため、空き時間にピラティスやボルダリングなどで体の操作を学んだ。不断の努力でリハビリ組から外れた。
全体練習に合流してからも「思ったより投げられていない」と、感覚とのギャップに悩まされた。それ以上に「一番つらい」と話したことがあった。症例が少ない病気ゆえ、周囲からの理解を得にくいということ。リハビリ組を外れたことで何でもできると思われてしまう。そんな苦しさを抱えながら毎日を過ごした。
感覚がほとんどなかった右足は術後、「めっちゃ動く!」と驚くほど改善された。ただ、今後も病気とは付き合っていかなければならない。「やることは増えていく」。一つのメニューでも“普通に動く”ための準備やその後のケアなど、倍以上の時間が必要となる。加えて投手としてのトレーニングも増える。
「それでも、やるしかない」。周囲の支えがそう思わせてくれた。ここに立てている理由を、湯浅自身が一番身に染みて感じている。「本当にいろんな人にお世話になった」。寄り添い続けてくれたトレーナーや医師をはじめ、チームメートや家族、友人…感謝を伝えたい相手は数えきれない。
マウンドを降りた右腕は晴れやかな表情を浮かべた。「たくさんの人の支えがあって、ここまで来ることができた。まだまだ良くなる。いい姿を見せることができるように頑張りたい」。湯浅の目はもう、前だけを向いていた。完全復活こそが最大の恩返し。再出発の一歩を踏み出し、前に進んで行く。
【復帰までの経過】
◆24年8月25日 球団が「胸椎黄色靱帯骨化切除術」を受け、同日に福島県内の病院を退院したことを発表。
◆同27日 鳴尾浜の屋内でリハビリを開始。
◆9月16日 鳴尾浜でキャッチボールを開始。トレーナーを相手に15メートルの距離で約30球。
◆11月11日 鳴尾浜で術後初ブルペンに入り10球。
◆25年1月5日 大阪市内の施設で自主トレを公開。ピラティスによるトレーニングで汗を流す。
◆2月1日 沖縄・具志川キャンプ初日。全体練習に参加し、ブルペンでは直球のみ30球。順調な調整ぶりをアピール。
◆同12日 具志川キャンプでシート打撃に登板。術後初めての実戦形式のマウンドで最速150キロをマークした。
◆同22日 具志川でハンファ(韓国)との練習試合で7カ月ぶりの実戦登板。1回1失点。
◆3月18日 ウエスタンのソフトバンク戦(SGL)に登板、8カ月ぶりに2軍公式戦のマウンドに上がる。
◆4月24日 1軍に昇格。
◆同29日 23年日本シリーズ以来、1軍公式戦544日ぶり(レギュラーシーズンは684日ぶり)登板。
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