【阪神ドラフト選手特集・下村海翔(3)】リハビリ期間が育てた体力とボールのキレ

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた8選手(1~6位・育成1~2位)の連載企画。第3回はドラフト1位・下村海翔投手(21)=青学大=の大学時代を振り返る。

  ◇  ◇

 安藤寧則監督(46)の勧誘の熱心さと少数精鋭に引かれ、青学大に入学を決めた。「魅力的なボールだった」と安藤監督。下村は1年秋から試合に登板したが、すぐに試練は訪れた。右肘に痛みがあり、12月にクリーニング手術と軟骨再生手術を決断。リハビリ生活が始まった。

 予定の半年がたってもボールを握ると肘が痛んだ。周りからは「焦るな」と言われたが「本当に治るんかな」と不安に襲われた。母・展子さん(50)に「治る気せん。治らなかったら野手転向する」と漏らしたこともあった。不安そうな姿を見受けた安藤監督は「ぶれてねえか」と度々声かけ。そんな言葉に下村は救われた。そして持ち前の気持ちの強さ、何より「プロに行く」という目標があったから前を向けた。

 好きなようにできる自主練習の時間が楽しみだった。174センチと小柄な下村は、体格は身体能力で補うしかないと考え、「この時期でめちゃくちゃ身体能力を上げてやろう」と野球以外の目標を見つけた。特に強化したのが走力とジャンプ力。チームメートの常広(広島ドラフト1位)と中島(楽天同6位)がトップクラスの数値だったことが負けず嫌いに火をつけた。

 「球が速い人は足が速い人が多いので投球にも生きると思って」と下村。元々足は速かったが、圧倒的な速さを求めた。世界陸上のトップ選手の動画と、自分が走っている動画を見比べてフォームを研究。20メートル走は3秒02から2秒80にまでタイムを縮めた。

 ジャンプ力強化も楽しみながら取り組んだ。「この身長でダンクシュートできたらすごいな思って」とひたすらバスケットゴールに向かってジャンプ。ダンクシュートはかなわなかったが、リングにぶら下がれるようになった。立ち幅跳びも、入学時の2メートル71から3メートル9に伸び、野球部内の体力測定では総合トップを取るまでにレベルアップした。

 外野を一人で黙々と走ることも多かった。ポール間走を一日5本から10本、タイム設定して行い、毎日継続することを大切にした。安藤監督も「またあいつ走ってるなと思っていた」とその姿に感心。工夫しながらモチベーションを保ち、1年間の長いリハビリを乗り越えて3年だった22年春に復帰を果たした。

 同年6月、勝てば1部残留、負ければ入れ替え戦に臨むことになる大事な中大戦で、復帰後初めて長いイニングに登板。投げる前は肘が痛まないか怖さがあったが、三回から登板し6回無失点に抑え、チームも残留を決めた。下村はこの試合で自信を得て、監督に「競争がある中でも先発をしたい」と直訴。結果を出し、3年の秋には先発に復帰し、4年では常広と二枚看板となり、大学3冠に貢献した。

 安藤監督は「大学で一番伸びたのはボールのキレ。リハビリ期間の体作りが生きている」とうなずく。大学入学時は最速149キロだった球速も同155キロにまで上がった。「プロに行くという目標があったからリハビリ期間も頑張れた」と下村。活躍できなくてもプロ志望届は出そうという強い意志を持ち、育成指名でもプロ入りする覚悟だった。ただ、ドラフト直前まで「指名漏れするんじゃないか」と考えるほど不安にも駆られていた。

 そんな不安も一蹴する阪神からのドラフト1位指名。高校で関西を離れてから、地元への思いは強くなり「地元の球団でできたら最高だな」と思っていた下村にとって夢のような景色だった。安藤監督は言う。「マウンドではいい意味で生意気というか、負けねえぞっていうのは持ってる。目標達成のための我慢強さもある」。負けん気の強さが1番の武器。プロの世界でもど根性でどんな壁も乗り越える。

 ◆下村 海翔(しもむら・かいと)2002年3月27日生まれ、21歳。兵庫県出身。174センチ、73キロ。右投げ右打ち。投手。小学3年時に甲武ライオンズで野球を始め、甲武中では宝塚ボーイズに所属。九州国際大付では1年秋からベンチ入り。青学大では1年秋から登板。23年の日米大学野球でMVP。今年度ドラフトで阪神から1位指名。好きな有名人は、齋藤飛鳥とYouTuberのサワヤン。

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