藤田平氏、平松投手とのライバル対決振り返る センバツ決勝で名勝負、プロで延長戦

 同級生の平松、堀内としのぎを削った阪神・藤田平
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 デイリースポーツ評論家陣が現役時代の思い出を語る「プロ野球黄金伝説 令和に語り継ぐ名勝負」。第3回は阪神一筋19年で通算2064安打を積み重ねた藤田平氏(72)が、平松政次投手(大洋)、堀内恒夫投手(巨人)ら同じセ・リーグでしのぎを削った同学年ライバルとの対決を振り返る。

  ◇  ◇

 藤田氏にとって、最も因縁のある投手の一人が平松だ。「両方とも意識していたと思う。意識していないと言えばウソだろう」。阪神の主力打者と大洋のエース。二人のライバル物語の端緒はプロ入り前にさかのぼる。高3春、1965年センバツ決勝で藤田氏の市和歌山商と平松を擁する岡山東商は決勝で対戦。延長13回の大激戦の末、岡山東商に軍配が上がっている。

 「鈴木啓示(育英、のち近鉄)とかほかにも速いピッチャーはいたけど、平松も決勝までずっとゼロで来るぐらいだから速かった」。同大会の平松は初戦から4試合連続完封。決勝の四回に市和歌山商が得点し、平松の連続無失点記録を39イニングで阻止した。試合には敗れたがチームで10安打し、藤田氏も2安打放っている。

 平松は同学年の松岡弘(倉敷商、のちヤクルト)、森安敏明(関西、のち東映)とともに『岡山三羽がらす』と呼ばれた好投手の一人だった。「松岡、森安に勝って甲子園に来ているのだから、平松はいいピッチャーだった。球は速いし、コントロールも良かった」と当時を振り返る。

 藤田氏は同年秋の第1回ドラフト会議で2位指名を受けた阪神に入団。平松は日本石油を経て、67年途中に第2回ドラフトで指名されていた大洋入りする。

 同じセ・リーグに在籍したことで、同学年名勝負は“延長戦”に突入した。プロでの通算対戦成績は264打数74安打、打率・280。藤田氏が3割5分以上打ったシーズンもあれば、1割台に抑え込まれた年もある。

 通算201勝を挙げた平松の代名詞は「カミソリシュート」だが、投げ始めたのはプロ3年目からだった。鋭く内角に食い込むシュートで右打者は苦しめられたが、左打者の藤田氏の場合は「外に行ってくれるから、関係なかった」という。「でも、長嶋さんとかは苦しんでいた。それほど、えげつないシュートだった」とライバルの武器を称賛する。

 平松との対決で印象に残るのは74年4月6日、岡山での大洋戦。1-1で迎えた八回裏、藤田氏が右越えに決勝ソロを放った。「ストレートをライトにライナーで」と、平松の地元で浴びせた一撃を鮮明に記憶する。

 「堀内との対戦もそうだったけど、今年良ければ、次の年は悪い。両方とも研究し合う感じだった」。高校時代から強烈に意識し合い、高いレベルで切磋琢磨(せっさたくま)し、互いをさらに高め合った。

 平松は70年(25勝)、71年(17勝)と最多勝利のタイトルを獲得し、球界を代表する投手になった。藤田氏も81年に打率・358で念願の首位打者に輝く。ともに83年に通算200勝と2000安打を達成し、名球会入りを果たした。そして、互いに導き合うかのように翌84年限りでユニホームを脱いだ。

 ◆平松 政次(ひらまつ・まさじ)1947年9月19日生まれ、72歳。岡山県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。岡山東商から日本石油を経て、66年度二次ドラフト2位で大洋入団。83年に球団初の200勝達成。翌84年現役引退。最優秀防御率と沢村賞1回、最多勝とベストナイン各2回。通算成績は635試合201勝196敗16セーブ、防御率3・31。2017年野球殿堂入り。

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