阪神外国人列伝 98年、リベラは150キロ超の速球武器に守護神として存在感

 好救援をみせ、野村監督(左)に出迎えられるリベラ
3枚

 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。1998年はパウエル、ハンセン、ウィルソン、クリーク、リベラ、メイが加入。計6人の外国人選手が阪神に在籍した。

 パウエルは中日時代に外国人選手初となる3年連続首位打者に輝いた。吉田義男監督が「怖いというイメージがあったし潜在能力を感じた」と強烈にプッシュして獲得したが、中日退団の原因となった膝の故障の影響もあり期待外れ。打率・255、9本塁打、28打点。球団は8月10日に解雇を通告した。

 ハンセンは「3番・サード」と期待され、来日時にはドジャース時代の恩師ラソーダ監督の「ユニホームの前にはチーム名が、後ろには自分の名前がある。お前がアピールするのは後ろじゃない。前のチーム名なんだ」という教えを明かした。121試合に出場したが、打率・253、11本塁打、55打点の成績は迫力不足だった。ウィルソンは“第3の助っ人”の位置づけ。1軍出場はわずか16試合に終わっている。

 投手陣では台湾プロ野球和信から移籍したリベラが守護神として存在感を見せた。150キロ超の直球を武器に98年は当時球団新27セーブ。8月18日・広島戦ではチームのワースト連敗記録を12で止めるセーブを挙げ、「久しぶりの登板だから気合が入ったよ」と汗をぬぐった。1年目は44試合、2勝3敗、27セーブ、防御率2・38と活躍。翌年は8月に右肘じん帯を損傷し、治療のため帰国したまま退団となった。

 メイは悪い意味で、球団史に名を残した。1年目は「3割打者にもバントを求める。理解できない」と吉田監督を批判。2年目の8月には「野村氏は私をプロとして扱わない」などとした造反文書をデイリースポーツに渡し、大問題となり、途中退団した。

 98年は21試合、4勝9敗、防御率3・47、99年は6勝7敗、防御率4・25だった。翌年巨人に移籍。6月には3度打席を外した和田の顔面付近へ投球し、「彼を狙った」という発言が虎ファンの逆鱗に触れた。阪神2年で10勝止まりが、巨人では2年連続2桁勝利したのも、虎党の悔しさに輪をかけた。

 もう一人の左腕クリークは開幕ローテ入りしたが、7試合、0勝4敗、防御率5・65に終わっている。98年もチームは最下位に沈み、吉田監督が退任し、野村監督が就任した。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

阪神タイガース最新ニュース

もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(阪神タイガース)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス