宮崎恒彰氏 負けたままでは終われない!30億円問題、議決を覆した行動力

 2006年から2年間、阪神の第8代オーナーを務めた宮崎恒彰氏(77)が、デイリースポーツ紙面で激動の日々を振り返ります。02年に取締役としてタイガースに入団。黄金時代の構築に尽力し、村上ファンド問題、30億円問題など、猛虎の危機に立ち会ってきた。

  ◇  ◇

 失意の帰阪-。オーナー会議の翌日、30億円という重すぎる課題を両肩に背負い、電鉄本社へと戻った宮崎オーナー。すると一本の電話が入った。

 「昨日は大変、失礼いたしました」

 声の主は激論を交わした他球団のオーナーだった。

 「そんなこと言っても、もう手遅れですやん…」

 総帥はそう返したが、前日の会議を思い出すと、ハラワタが煮えくり返った。「これは何かやり返さなあかん」。宮崎氏は自らのことをよく“ガラッパチ”と評する。負けたままでは終われない。幼少期、武庫川団地が戦後進駐軍のキャンプだったころ、米国人の子供が楽しそうにプールへ飛び込む姿を見て「クソー」と思った勝負根性に火がついた。

 「まず阪急阪神の統合が10月やのに、7月のオーナー会議で30億円払えと決めるのはおかしいやないか!そんな詭弁(きべん)を弄(ろう)したんや」

 11球団のオーナーにジャブを放つと、東京の根来泰周コミッショナーのもとへ出向き「土下座せんばかりに頼み込んだ」という。

 最初は「NPBもお金がない。30億円払ってもらえたら助かるんですが」と言っていた同コミッショナーも、「何を言うてまんねん!」と頼み込む宮崎氏に態度を軟化。「次のオーナー会議でもう一度、諮ってくれ」というコミッショナーの言質を得て、すぐさま名古屋へ飛ぶ。

 議長の中日・白井オーナーにも同様に頼み込み「それやったら他球団のオーナーを自分で説得しなさい。ウチは賛成、反対、どっちでもいいから」と言われた。そこから北は北海道、南は福岡。各球団のオーナーと2回ずつ直接会って、主張の正当性を訴えた。

 迎えた11月14日のオーナー会議。宮崎氏は資産情報の公開など15分間の説明を行い、タイガースは阪神電鉄が所有すると説明した。その上で多数決したが、構図は7月のオーナー会議と変わらず。各球団がその意図を説明し終えた時、白井オーナーがおもむろに口を開いたという。

 「最後に私の意見を述べます。新規参入にはあたりません。何かご意見ありますか」

 各球団のオーナーはあっけに取られ、沈黙が生じた。すると白井オーナーは「異論ありませんね。では新規参入にはあたりません」。そして「宮崎さん、手数料は払っていただけますね?」。宮崎氏は「それは払わせていただきます」と即答。その後、大きな異論もなく会議は終結した。

 タイガースが新規参入球団という考えは企業としての理論。一方で宮崎氏の熱意が、人間の本音の部分で「まあ、そこまでしなくても」と他球団を軟化させたと言われている。

 「あきらめずに動いたことがよかったんちゃいますか」

 25億円の預かり保証金と4億円の野球振興費は、払う必要がないと会議で認めてもらえた。宮崎オーナーはその日、内ポケットに辞表をしのばせていた。仮に主張が退けられれば、オーナー職を辞し「マスコミに洗いざらいぶちまけたろ」と覚悟していたと笑う。

 ◆宮崎 恒彰(みやざき・つねあき)1943年2月9日生まれ、77歳。兵庫県出身。神戸大学経営学部卒業後、65年に阪神電鉄入社。88年、関連企業の山陽自動車運送に出向後、96年本社取締役、00年常務、社長室副室長。04年代表取締役専務となり、06年6月から08年6月まで阪神タイガースのオーナーを務めた。

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