V25狙う白鵬、覚醒の瞬間は黒星

 大相撲夏場所は12日に初日を迎える。横綱・白鵬(28)は春場所で歴代4位となる北の湖の優勝回数24回に並び、今場所は朝青龍の25回に挑む。幕内に上がってきたころは引き技や立ち合いの変化も見せた男が、一体何をきっかけに相手の攻めを受けながら自分の型で勝つ横綱相撲を身につけ、平成の大横綱へと変貌を遂げたのか。それは2010年九州場所2日目、稀勢の里に連勝記録を63で止められた黒星。覚醒の瞬間はその時、訪れた‐。

 夢か。夢なら覚めてくれ。砂かぶりで尻もちをつきながら、白鵬は念じた。だが、一瞬の静寂の後、現実は容赦なく襲いかかってきた。勝者を称える拍手が場内に充満し、土俵上で稀勢の里が仁王立ちしていた。「これが負けか‐」。久々に味わう苦い思いが全身を貫いた。

 支度部屋に戻り、冷静さを取り戻すと、悔しさが込み上げてきた。「ちょっと相撲の流れにスキがあった。慌てた。勝ちにいった」。報道陣に囲まれ、短い言葉に無念を込めた。

 波乱は10年11月の九州場所2日目に起こった。同年1月の初場所14日目の琴欧洲戦に始まった連勝記録は、九州場所初日の栃ノ心戦で63まで伸びた。目指すは尊敬する大横綱・双葉山が持つ最多連勝記録の69連勝。自身も周囲もいよいよ追いつき、追い越せると期待を抱いた矢先、そこに落とし穴が待っていた。

 相手は終生のライバル稀勢の里。ピーンと張りつめた緊張感の中、白鵬は立ち合い右を張り、瞬時に左を差すなど優勢だった。だが、この時、心にスキが生じた。稀勢の里の右の突き落としでバランスを崩し、守勢に回る。気持ちの余裕を失い、やみくもに連発したすくい投げも効果なし。最後は力なく寄り切られて、土俵下に飛び降りた。

 「私の相撲人生で一番大きい出来事は連勝記録のストップだね。負けた時は夢ならいいのにと思った。双葉山関に並ぶのか、超えるのかって時に負けた。だからいろんなものを考えさせられた」

 このころ白鵬には大きな目標があった。それは双葉山が得意とした取り口「後の先」の体得。相手に好きなように攻めさせておきながら最後は自分の型に持ち込んで勝つという、いわゆる横綱相撲を自分の理想として掲げていたのだった。それがこの稀勢の里戦で破たんした。そのショックは言葉では表せないほど大きいものだった。

 「あの稀勢の里との一番は、自分の相撲を取ったつもりではありましたけど、勝負の厳しさでしょう、一瞬で展開が変わった。自分の目指す取り口は後の先ですから、勝つ相撲は取らない。それなのにあの時は慌てて勝ちにいったんですね」

 双葉山は39年1月場所4日目に安藝ノ海に敗れて連勝が69で止まると「われいまだ木鶏(もっけい)たりえず」と知人に電報を送った。木で作った鶏のように無心の境地に至れなかった自分を戒め、さらなる精進を誓った言葉だったが、白鵬もその言葉に勇気をもらった。連勝ストップを真正面から受けとめ、翌日にはもう前を向いた。

 「次の朝、自分を奮い立たせて朝稽古に励みました。やっぱり勝ち負けというより、大事なことは常に精進努力していくっていうことでね。結局その場所優勝できましたけど、負けて土俵に上がる気持ちがさらに強くなった。相撲を取る喜びっていうのかな」

 それからの白鵬は相撲に格段の余裕が感じられるようになった。勝ちにいかない。勝つ相撲を取らない。だが、結果的には白鵬の型になって白星を重ねていく。優勝回数は順調に増え、3月の春場所で北の湖に並ぶ歴代4位の24度を積み重ねた。上にいるのは25回の朝青龍、31回の千代の富士、そして最多32回の大鵬だけだ。

 「今は双葉山関が目指した後の先の気持ちが分かる。決して勝負を焦らないっていうね。言葉は悪いけど、相手をなめるんですよ。余裕を持って相手に相撲を取らせながら最後は勝ちにいく。双葉山関は69連勝、私は69代横綱でね。こういう縁がありますから。残りの相撲人生、この縁だけで頑張っていこうかなと思っています」

 連勝が63で止まった日、砂かぶりで尻もちをつきながら見たものは、双葉山の真実。白鵬は敗れたからこそ、さらなる強さを身につけ、平成の大横綱へと駆け上がっていったのだった。=敬称略=

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