演歌・歌謡の新星 『NHK紅白歌合戦』2年連続で出場 『名探偵コナン』テーマソングも担当で大活躍のアーティスト 実は「甲子園に行きたかった」
『NHK紅白歌合戦』に2年連続出場、TVアニメ『名探偵コナン』のテーマソングを担当し、バラエティ番組にもひっぱりだこ…このところ演歌・歌謡曲シーンでは異例の大活躍を見せる新浜レオン。令和が始まった2019年5月1日に演歌・歌謡の新星としてデビューした彼も今年で30歳。いったいどのような人柄なのか?アーティストとして何を目指すのか?そして現在の自分をどのように見つめているのか?数々の執筆やメディア出演を通し近年の昭和歌謡ブームに詳しい筆者が、約1時間半のロングインタビューの中で興味のおもむくまま、いろいろな話を聞いた。
ーーお父さんが演歌歌手という珍しい環境で育ったということですが、どんな子供時代でしたか?
レオン:車に乗れば演歌がかかってるし、テレビで観るのも歌謡番組…という感じで、小さな頃から演歌に囲まれて育ちました。父の曲だったり、吉幾三さん、山本譲二さん、五木ひろしさんなど、直球の演歌らしい演歌が自然と体に染みつきましたね。
でも小学校に上がると、クラスメイトは全然そういう曲を知らないんですよ。説明しても「演歌は古臭いもの」というイメージがあるのか、興味を持ってもらえない。それが悔しくて、子ども心に「自分が演歌の魅力を伝えなければ」と思ったのを覚えています。
ーーお母さんはどんな方なのでしょうか?
レオン:母は料理の先生をしながら父の活動をサポートしていました。忙しかったと思いますが、主婦業も手を抜くことはなく僕たち3兄弟にとっては普通のお母さん。真面目でしつけに厳しい父と、優しい母に育てられたことは僕の一番の財産だと思っています。
ーー子ども時代はどんなキャラクターでしたか?
レオン:人を笑わせるのが大好きで、学級委員長や生徒会をやったり、野球部でもキャプテンをやったりと、リーダー的な役割も率先して引き受けていました。
ーーその頃から人前で歌う機会はあったのでしょうか?
レオン:父のコンサートで『大きな古時計』を歌ったり、『マツケンサンバ2』を踊らせてもらったりしたことがあります。でも学校ではそんな機会はなかったし、小学2年生から野球を始めてからは野球漬けの生活になっていきました。
ーー以降は甲子園を目指して野球に打ち込むも、夢破れて…ということですが。
レオン:そうですね…今でも兵庫県に来ると心が震えるような感覚があります(※インタビュー現場は兵庫県神戸市)。「あぁ、本当に甲子園に行きたかったんだな」って思いますね。
それまでプロ野球選手になるということしか考えてなかったんで、高校生活最後の夏の大会で4回戦敗退した時は「これからどうして生きていこうか」と。一度まっさらになってこれからの人生について考えていると、自然と目に入ってきたのが演歌一筋に打ち込んでいる父の姿。どんな仕事なんだろうと興味を持ち、坊主頭のまま父のカバン持ちを始めました。
ーー間近でお父さんの仕事を見て、どうでしたか?
レオン:それまでも活動の手伝いをすることはありましたが、いい部分しか見てこなかったんだと気付きました。ステージで華やかに歌っている裏では、さまざまな苦労があったんだなと。でも父は家庭に帰ると愚痴や人の悪口はいっさい言わないんです。あらためて父への尊敬が芽生え、「父のようになりたい」という思いから歌手を目指すようになりました。
ーー「歌手を目指す」と言ってご両親の反応は?
レオン:父は「やれるものならやりなさい」とほとんど口出ししませんでしたが、母は猛反対でした。野球の時は家族で一番応援してくれてたのになぜだろう…今思うと父の苦労を見てきたからだとわかるのですが、当時の自分には理解できず…。結局、大学には進学することを条件に認めてくれました。「あなたは野球しか知らないのだから、大学の4年間でしっかり世間を見なさい」と。それで大東文化大学に進学したんです。
ーー大学時代はどんな活動をしていたんですか?
レオン:引き続き父のカバン持ちをして、先生について歌の練習をしているうちに父のバックコーラスや前歌をやらせてもらえるようになりました。また千葉テレビの歌謡番組の親子トーク企画に親子で出演した時、関係者の方から「君をアシスタントMCに起用したい」と言ってもらい、いろんな先輩歌手たちの中でMCの勉強もさせてもらえることになりました。とは言えアルバイトもしてましたし、母との約束だから大学も真面目に通わなくてはいけない。忙しい大学生活でしたね。
ーー当時、大学内のミスターコンテストにも出場されたんですよね?
レオン:はい(笑)。でも動機は自分の容姿がどうこうじゃなくて、この機会に若い人たちに演歌や歌謡曲の魅力を伝えたいということだったんです。自己PRの時間に森田公一とトップギャランさんの『青春時代』をお客さんの間を握手して回りながら歌って…するとみんな知らない曲のはずなのにものすごく盛り上がってくれたんです。結果はまさかのグランプリ。その後、昭和の音楽に興味を持ってくれる友人も増えて、「若い人にも演歌、歌謡曲の魅力は伝わるんだ」という手ごたえをつかむことができました。
ーーその後、ビーイング(現B ZONE)にテープを持ち込んだことがデビューのきっかけになったということですが、ビーイングは演歌のイメージとは遠いレコード会社。どんな経緯があったのでしょうか?
レオン:当時は王子様的なビジュアルの演歌歌手の方たちが注目されている時期でした。でも当時の僕は野球部上がりで体がゴツかったので、それを生かして昭和の男っぽい路線でセルフプロデュースしようとしていたんです。それが災いしたのか、いろんなレコード会社にテープを送ったんですが全然ダメで(笑)。母との約束で、大学生の間にデビューが決まらなければ就職することになっていたので、2018年6月にこれが最後のチャンスだと思ってビーイングにテープを送りました。
正直「ビーイングで演歌はないだろうな…」と思っていたんですが、なんと予想に反して「一度会社に来てほしい」という連絡が。それから急ピッチで話が進み、大学を卒業する直後、令和が始まる2019年5月1日にCDデビューすることが決まりました。「イメージチェンジしよう」と言われたので、1週間で10kgダイエットして髪を伸ばして、名前も新浜レオンになって…初めはすごく違和感ありましたけど、これを機会にこれまでの自分を全部変えて新しい道にチャレンジするんだと吹っ切れました。
ーーデビューが決まってご家族の反応はどうでしたか?
レオン:デビュー自体は喜んでもらえたんですが、芸名については信じてもらえませんでした。当の自分ですら初めて芸名を聞いたときは衝撃だったので、仕方ないですよね。
ーーデビュー曲『離さない 離さない』のデモを聴いた時はどう思いましたか?
レオン:初めは「これが自分のデビュー曲か…」とただただ感動でした。繰り返し聴いてるうちにやっと実感が湧いてきて、サビの「離さない」という部分のコール&レスポンスがなんだか西城秀樹さんみたいでいいな、秀樹さんみたいに子どもから大人まで夢中にできるスターになりたいな、なんて思ってましたね。
ーーレコーディングは順調でしたか?
レオン:どうだったんでしょうか…レコーディングブースに入るなんて初めての経験で、「これでいいのかな?」と終始不安ばかりでした。自分では正解が見えないまま、いつの間にか完成していたというのが正直なところです。
ーーでも売上や反響は好調だったんですね。オリコン週間ランキングで演歌・歌謡部門1位、総合でも19位と、新人歌手としては十分すぎる成績です。
レオン:おかげさまで当初の目標だった『第61回輝く!日本レコード大賞』では新人賞もいただき、本当に有難かったです。でもデビュー当時、御徒町のパンダ広場というところで初めて開催したイベントには鳩3羽だけでした…「デビューの夢はつかんだけど、これが今の自分の実力なんだ」と落ち込みましたが、頑張っていつかこの広場を人でいっぱいにしてやろうと逆に闘志が湧いてきました。
ーーそういう精神的な強さはやはり野球で培われたものでしょうか?
レオン:本当にそうだと思います。今だってハードスケジュールでつらいこともありますが、あの時代のキツさを思えばなんてことありません。それに芸能界で重要な上下関係や人としての礼儀を学べたのも野球をやっていたからこそ。野球をやってて本当に良かったなと思いますね。
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世間とは少し違った環境ではあるが愛にあふれる両親のもと真っすぐに育ち、歌手の道へと踏み出した新浜レオン。続く中編ではデビュー以降の彼の楽曲や音楽性、目指すアーティスト像に迫っている。
新浜レオン(にいはま・れおん)プロフィール
1996年5月11日生まれ、千葉県白井市出身。2019年に『離さない 離さない』でデビュー。以降、『全てあげよう』(2024年)、『Fun! Fun! Fun!/炎のkiss』(2025年)などのヒット作を連発するかたわらバラエティ番組にも多数出演。『NHK紅白歌合戦』に2024年から2年連続で出場し、『第67回 輝く!日本レコード大賞』(2025年)で優秀作品賞を受賞するなど若手歌手として大きな注目を集めている。
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協力 肉バルSow
