役者・大林素子として認められるために バレーボール元日本代表が挑み続ける女優という仕事「リスクは分かっていても、自分の人生で本当にやりたいものをやる」
元バレーボール女子日本代表として日本中の視線を背負い、第一線で戦い続けてきた大林素子。
1997年の引退後もスポーツキャスターや解説者として忙しい日々を送りながら、39歳にして舞台女優という新たな道にも挑戦してきた。そんな彼女が還暦を前にして選んだのが、福島県会津若松市を拠点のひとつとする二拠点生活だった。
--29歳でバレーボールを引退されました。その時の決断を、今振り返ってみていかがですか?
大林:代表としてのピークは1996年のアトランタ五輪でした。バレーボール選手ってオリンピックがあるから4年スパンで生活があるんですよ。それで2回出場して、もう一回メダルのためにって思ってアトランタでけじめをつけようと。
でもその頃には選手としてのピーク感もあったし、膝も痛くて注射を打ちながら試合に出てましたから。ただVリーグの契約があったので、なみはやドームで1997年3月に引退試合を迎えることがわかってたし、すでに事務所にも入って本を出したりしていました。辞めた日から密着の番組に出たりして、インターバルなくそのままテレビの世界にスライドするように活動の場が移っていった感じでしたね。
--引退後は今もやってらっしゃるスポーツキャスターやタレント活動をやってこられて、39歳の時に本格的に舞台女優を目指されます。なぜそのタイミングだったのでしょう?
大林:ずっと小さい頃から宝塚やミュージカル、歌やお芝居に憧れてて女優というものをいつかやりたいって思ってたんですね。それまで引退してからタレントやバレーボール関係の仕事は順調にやらせていただいてきた中で、長年の夢に対して、これはもう本気で向き合わないと後悔するなって思ったのが39歳の時で。
ただ、舞台をやるということは、スポーツイベントや解説などの仕事をお断りしなければいけないですから、それによって現実的な収入という面では正直、かなり大きな打撃でした。一時、月9万円なんて時もありましたから。それに一度呼ばれなくなった場所には代わりに別の人が定着してしまう。結局、席はひとつって決まってますしね。でも、そのリスクが分かっていても、「自分の人生で本当にやりたいものをやる」と覚悟して踏み出したんです。
■「求められている自分」と「やりたい自分」のギャップは今も
--役者一本で生きていくことの難しさも感じられた?
大林:先ほど言った収入面はもちろんですけど、正直、世の中は私を役者とは見てくれているわけではありません。
今もそうですし、舞台をやっていること自体、知られていないことの方が多い。結果、仕事として成り立っているのは、バレーボールの解説やスポーツの仕事なので、「求められている自分」と「やりたい自分」のギャップは、今もずっと続いていますね。
やっぱり舞台だけで食べていくのは難しくて、収入面でスポーツの仕事にすがる時期もありました。だから自分の中では、演劇は仕事というより、極端に言えば心を満たすための娯楽や趣味みたいになっていないかと悔しく葛藤する自分もいます。
--それでも舞台を続けてこられました
大林:心の充実ですね。100%どっぷり舞台に浸かる、その感覚にずっと憧れていました。本番のための稽古に入り、その役を自分のものにし、そして初日を迎え演じる…という充実は何事にも代えがたいです。
ただ、一時期は舞台をやみくもに引き受けて年に6本くらいやっていましたが、今年は今のところ、2月21日から始まる舞台1本にしようと。それは、何でもかんでもやりたいという気持ちは変わらないんですけど、60歳を前にして、現実は体力のこと、時間のこと、収入面のことなど、なかなかシビアです(笑)。それを自分で受け入れるようになりました。でも下半期に向かってまたお芝居をやりたいって思っちゃうんだろうなぁ…。
■福島県会津若松市へ移住し二拠点生活に
--そんな中で、福島県会津若松市への移住、二拠点生活を始められました。
大林:会津に移住をしようかなと動き始めたのが49歳の時なんです。今思うと、9が付く歳に自分の中で変化を求めるのかもしれないです(笑)。
実は昔から歴史が大好きで、いわゆる歴女なんです。もともと出身が東京の小平で多摩地区。そこで有名な歴史上の人物といえば土方歳三様。そこから新撰組界隈が好きになって、バレーボール選手時代、大阪に住んでいた頃も時間があれば京都の史跡を巡ったり、調べたり、土地の空気を感じたりする中で、戊辰戦争で彼が訪れていた会津若松にも興味を持って、度々訪れてたんですね。で、年間50泊ぐらいしてるなって思ったら、どうせならお家を借りて住んだ方がいいって決めて移住しました。
実際に住んでみると、都会すぎず、田舎すぎない。帰ると「お帰り」と言ってもらえる空気があって、東京などでしっかり働いたあとに戻ると、すごく居心地がいいって感じるんです。土方様が入った東山温泉もあるし、お城もあるし、歴史と共存している街を歩くだけで嬉しくなって、飽きないですね。
--会津での生活は、ご自身の価値観にも影響を与えていますか?
大林:大きいですね。最初はただ好きで行っていただけだったのが、「この街のことを伝えたい」「ここでバレーボールを教えたい」と、どんどん広がっていって、そのひとつとして今は、会津大学で非常勤講師もしています。学生の中には、私が元バレーボール選手だと知らない子もたくさんいる。それが逆に新鮮だったりします。それに縁あって、東北を拠点にしているみちのくレコードから2022年に『陽だまりダイアリー/愛する人と歩きたい』で歌手としてデビューもさせていただきました。一昨年にも『会津の風/前を向いて』をリリースさせていただいてまして、この春にも3枚目のシングルをレコーディングするんです。
■役者・大林として認められるために
--バレーボール選手を引退してまもなく30年。と同時に、まもなく還暦を前にしています。そんな大林さんがこれから挑戦したいことは?
大林:「これからは、やりたいことを、やりたい形でやる」ということ。バレーボールも、舞台も、歌も、全部が私を作ってきた大切な要素。どれかを手放すんじゃなくて、全部を抱えたまま、次のステージに進みたいとは思ってますし、30周年を記念して何かやりたいなと思い始めてます。
ちなみに2月21日から、シアターHで上演される舞台『2FATE』に出演するんですが、初めてラップに挑戦しています。まさか私がラップを歌う日が来るとは思っていませんでした(笑)。主演の川崎皇輝くんや青木滉平くんら若い子たちに教えてもらいながら必死で練習してます。こういう挑戦は、これからもやっていきたいなと思いますし、とにかく"役者・大林"として認められるよう頑張りたいです。
(まいどなニュース特約・仲谷 暢之)
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