「それなりにお金払ってもらわないと」選挙で面食らった体験 豊田真由子が「合法・違法なカネ」を解説

「政治とカネ」の問題が、クローズアップされています。

以前より、テレビ番組等で「国会議員の立候補者が、『地元の有力者』からおカネを要求されるのは、よくあること」という話をしていましたので、今回、聞かれることが多くありました。

どなたかを告発しようとかいう趣旨では全く無く、ただ、よくもわるくも、「政治の世界のリアル」が知られていない、外からは非常に分かりにくいように感じますし、また、候補者の苦労というのは底知れぬものがあるのですが、現職の方はなかなか言いづらいことも多いだろう、と思いましたので、実際に政治の現場を経験し、そして、今はしがらみを離れた立場にいる者として、客観的・公正に、(可能な範囲で)実情をお話ししてみたいと思います。

なお、新潟の現職の衆議院議員と県議会議員の間で起こっている揉め事の件は、関係者にちゃんと話を聞くと、描かれているような単純な「善玉vs悪玉」の対立というわけでもなさそうで、当初の報道は随分と偏向的であったとも思います。

いずれにしても、「ある行為が違法かどうか」については、メディアや(自分含めた)コメンテーターではなく、事実を詳らかにした上で、司法が判断するべきことだと思いますので、本稿は、新潟の件についてなんらか解釈をするといった趣旨のものではありません。

(ちなみに、個人的なことを申し上げれば、新潟の衆院議員は、たとえ今はこじれたとしても、これまでずっと、県議に非常に熱心に応援してもらっていたようなので、落下傘候補で方々でイジメられていた自分と比べたら、ずっと恵まれてるよなー、とは思いました。)

■面食らった体験「それなりにお金払ってもらわないと」

2012年2月に、公募で衆議院小選挙区の候補者となり、地元の関係者に挨拶回りにうかがった際、「あんたの前任者は、地元にお金を配らなかったので、選挙に弱かった」「応援するには、それなりにお金払ってもらわないと」と言われ、面食らいました。その場に連れて行ってくださった方に、後で、「意味分かるよね?」と聞かれ、それまで政治に縁の無かった自分は、正直何を言われているのか分からず、「?? 分かりません」と答えて、あきれられました。

ここで、新潟の件でも議論になっていた「合法・違法なカネ」について、ちょっと解説してみたいと思います。

①「合法なお金のやり取り」とは? 

それぞれの衆議院の小選挙区の中には、政党の地域(市町村)支部というのがあります。地域支部は、例えば、党勢拡大や広報活動、党員同士の交流、そして、その衆議院候補者が国政に行けるように普段から支援活動をする、といった政治活動を行っています。こうしたことにかかる必要経費というのは、その地域支部を選挙区に含む衆議院議員やその候補者が、一部(ときには全部)を負担することが一般的です。

その場合、政治資金団体又は政党支部間のやり取りで、きちんと領収書の授受をして、当然、双方の政治資金収支報告書にも記載されます。受け取った方が何に使ったかも明らかにされ、透明性が確保されます。

②「違法なお金のやり取り」とは?

①のような、政党の地域支部の必要経費、正当な政治活動のための助成とは異なり、個人間でやり取りされ、領収書の授受も無く、政治資金収支報告書にも載せない、というお金のやり取りがあるとすれば、基本的にそれは違法(政治資金規正法や公職選挙法等)の可能性が出てくる、ということになります。

2019年の広島参院選のケースなどは、候補者側のみが罰せられていますが、候補者の側が積極的に配る、という場合もあるでしょうし、一方、地元から要求されて仕方なく支払う、あるいは、その地域では昔からそれが慣習になっている、というような場合もあると思います。(広島がどうであったかは、把握しておりません。)

私は、②の違法なお金は、一切お支払いしませんでしたが、それでも、必死で活動する中で損得関係なく応援してくださる方がでてきたおかげで、衆院選で二回勝たせていただきましたので、時代や世代や、“選挙の常識”が変わっていくことで、違法なおカネと選挙の関わりが減っていくことに期待をしたいと思います。

もちろん、かつての「五当四落」(=選挙に5億円以上使えば当選できるが、4億円なら落選する)と言われた時代に比べれば、小選挙区になり、格段に状況は良くなっている、とはいえるのだろうとは思いますが…。

ただ、新人の候補者が、地元政界を仕切っている有力者たちから、延々と苛酷ないじめを受ける、というのも、私に限らず、よく聞く話ですので、そういうことも含めて、政治というものが、全体として変わっていかなければならないだろうとも思います。

…とは言うものの、政治の本質はやはり「権力闘争」であり、今回の衆院選でも各所で見られましたが、その地域では一つしかない「公認候補のポスト」を巡る同じ政党内の争いは、まさに「殺るか殺られるか」であり、古今東西、政治の世界で、争いや陰謀やいじめがなくなるわけがない、というのも、残念ながら厳然たる事実だと思います。

(そういう意味では、世襲候補のメリットというのは、「地盤・看板・カバン」はもちろんですが、こういった、地域を牛耳るおっちゃんたちを納得させ、負の感情の発露を諦めさせる正当性、という点が、実はとても大きいのではないか、と思っています。こうした現実を踏まえれば、世襲の方が候補者になっていくのは、ある意味で、現在の日本の政治システムの必然の結果です。)

■「国や地元を良くしたい」と奮闘する政治家たちはちゃんといる

今回のような話や、また、政治とカネにまつわる話が報道されると、「政治家なんて、結局そんなもんか」といったネガティブな印象ばかりを与えかねないと思いますので、最後に、大事なことを、ひとつ付け加えさせていただきたいと思います。

「実際に労力をかけて、熱心に候補者を応援する人」には、大きく分けて、敢えて単純化すると、次の二つのタイプがあると思います。

「①自分にとって損か得かを基準に行動する人」と

「②候補者自身を信頼して、家族のように心の底から応援する人」です。

(このほか、世襲候補の場合等には、「③先代に大変世話になった、という恩義に基づき応援する人」というのがあります。これも、人を動かすとても大きな力だと思います。)

①の人たちにとっては、カネや利権や、自分の仕事に有利かどうか、といった観点が重要で、こういう人たちは、総じて「勝ち馬」に乗り、そして、その人の境遇が変われば、さっさと離れていきます。

一方、②の人たちは、損得ではなく、自分自身の真心や感性で判断します。地元や国のためを思うからこそ、ぜひともその人にがんばってほしい、という期待もあります。元々、人を見る目が厳しいので、認めてもらうまでが難しいのですが、いったん信頼関係ができたら、基本、裏切りません。そしてその絆は、真っ暗な絶望の中で、死への衝動から当事者を救ったりもします。

こうして見てくると、①②のような「人による行動パターン」の違いは、一般社会においても、同様のことは、ままありますよね。

そうした「人間というものの業や、こわさ・いやらしさ、素晴らしさ・尊さ」が、ともに、ぎゅっと凝縮され、容赦なく顕わにされるのが、「政治」というものなのかもしれません。

とかく「政治」には不信の目が向けられますが、一方で、議員(候補者)も支援者も、カネや権力といったことでは全くなく、純粋に、国や地元を良くしたい、国民を幸せにしたい、と心から願って、奮闘する人たちもちゃんといる、ということは、お伝えしておきたいと思います。

がんばっていただきたいです。

◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。

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