「北中米W杯・1次リーグF組、日本代表2-2オランダ代表」(14日、ダラス)
後半12分に同点ゴールを決めた日本代表MF中村敬斗(25)=スタッド・ランス=には、今も悩んだ際に連絡する恩師がいる。G大阪のU-23監督として19年に指導を受けた、現東京Vの森下仁志ヘッドコーチ(53)だ。約3カ月の短い期間だったが、そこには中村が大きな成長を遂げるきっかけとなった意外な指導法があった。
本格的な指導に当たったのは、中村のプロ2年目。当時G大阪の宮本恒靖監督から「森下さん、敬斗をお願いします」と託された。中村が守備を苦手としていることを知っていた森下氏。だが、あえて中村に「何やりたいの?」と本音を聞いた。
「ドリブルがしたいです」と答えた中村。すると「じゃあ、やればいいじゃん。ボールを取られないで、ゴール決めて怒る監督はいないだろ。ボールを取られるから怒られるんだよ」と返した。予想外の返答に目を丸くしていたという中村。そこから目を輝かせるように、練習に取り組む姿があった。
鳥栖監督時代には鎌田大地も指導した森下氏。苦手なことを克服させるのではなく、本人がやりたいことを優先するのがモットーだ。「一番得意なことをやらせると苦手なこともできるんですよ」。楽しくサッカーをさせて無我夢中にさせる。すると、不思議と「本能が出てくるんですよ。考えるより感じる。それが能力なんです」と気づかないうちにスキルも向上していくという。
中村はその無我夢中状態、いわゆるゾーンに自分の意思で入ることができるという。練習では常にゴールを置き、仕掛けてシュートをひたすら繰り返す。「今の子より比べ物にならない。それは無理だもん。量もそうだけど、覚悟が違った」。日本代表で森保監督が「打ち出の小づちのよう」と絶賛するシュート精度の高さはこうして生まれた。
無我夢中で駆け上がり、ついにW杯という大舞台でゴールを決めた。守備も森保監督が求める基準にまで成長した。それでも「敬斗はまだまだ天井に行っていないと思う」と森下氏。日の丸を背負う、かつての教え子の底知れぬ才能に胸を膨らませた。(デイリースポーツ・松田和城)
◇森下仁志(もりした・ひとし)1972年9月21日、和歌山県海南市出身。順大卒業後、95年にG大阪に入団し、2001年まで在籍した。札幌を経て、05年に磐田で現役引退。06年から磐田ユースコーチとして指導者をスタートした。12年に磐田監督、14年に京都監督代行、15年に鳥栖監督、17年に群馬監督などを歴任した。19年にG大阪U-23監督、21年からG大阪ユース監督を務め、23年に退任。24年から東京Vのヘッドコーチを務めている。