アンジャッシュ・渡部建が6日、自身のYouTubeチャンネル「渡部のサシ飲み」を更新した。ゲストは、サッカー元日本代表・岡野雅行氏。
岡野氏は浦和、神戸などで活躍。驚異的なスピードとワイルドな風貌から「野人」の愛称でファンから愛された。1997年には、日本をW杯初出場に導いた伝説的な決勝ゴールを決めた。
渡部は岡野氏の高校時代をクローズアップ。「普通、のちの日本代表選手って言うと、そのぐらい(中学生時代)から当然、強豪校からスカウトくるじゃないですか?ここは、なんか壁があったんですか?」と聞いた。
岡野氏は「もう壁だらけでして…。神奈川の高校から、普通、上手い子は推薦が来て。選手権に出られるような高校から来るんですけど。僕、全く(スカウトに)引っかからなくて」と話した。
岡野氏は、サッカー部のない壮絶ヤンキー校に入学し、一からサッカー部を発足。未経験者ばかりのチームメートに基礎からみっちり教え込んで約1年ほどで県大会の新人戦ベスト3へと躍進させることになるが、船出は苦難の連続だったと振り返った。
「最初、マトモに(対外試合を)やったときは22-0で負けるんですよね。今でも覚えています。その後、15-0になり、10-0になって。(失点が)減っていくわけですよね。あの人達(ヤンキー)って、ハートはやっぱりスゴいじゃないですか。県で総長クラスの人たちなんで、仲間思いでもあるし。10-0が5-0になり、3-0になり。最後、0-0。もう大泣きです。全員で。いや、もう早いですよ。半年ぐらいで」とチームは半年で他校のチームと互角の試合ができるようになったという。
「(チームメートをポジションに)はめ込んでいったんですよ。僕はど真ん中で。全部、僕がやるんですけど。みなさん、やっぱり身体能力すごいんですよ。ケンカが強いんで。だから絶対にフィジカル負けない人はディフェンスに置いて。足速い人はサイドに置いて。真ん中はテコンドーのチャンピオンが。ありえない所から足が上がる。『少林サッカー』みたいに。評判悪い高校だったんですけど、一生懸命やってたんですよ。僕らで」と振り返った。
渡部は、のちに日本サッカーがW杯初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」で主役になる岡野氏の壮絶な高校時代に感嘆。
「同じ時間軸で考えると。1972年生まれの。のちの日本がワールドカップ出るときの背番号10。名波(浩)さん」と岡野氏と同級生の名波浩氏の名を挙げた。
名波氏は、90年代後半から黄金期を迎えた磐田の司令塔として活躍し「魔法の左足」と称された圧巻のテクニックで磐田の爆発的な攻撃力を牽引。日本代表としては「ジョホールバルの歓喜」で岡野氏とともにピッチで喜びを爆発させた。
渡部が「名波さんの高一の時なんか、もうバリバリでしょ?全国の?」と聞くと、岡野氏は「小学校の頃から『サッカーダイジェスト』とか『サッカーマガジン』に出てますもん。名波は。『これが同級生なんだ…?』みたいな…」と少年時代を回想した。
渡部が「高校でヤンキーたちとサッカー部はじめた人と。小学校から専門誌に載るエリートが(日本)初めてのW杯でチームメートになるって。これ、すごいですよ…。のちに、まさかW杯で一緒にやるなんて?」と感心すると、岡野氏も「いや、全く思わないですね」と笑顔を見せていた。