元広島総監督・今西和男さんが死去 無名の森保監督発掘指導者としての礎築く「天国で誇らしく思えるサッカーを」 85歳、肺炎

広島総監督時代の今西和男さん 
広島の本拠地「エディオンピースウイング広島」を眺める今西和男さん=25年7月 
広島で現役時代の森保(左)=99年3月
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 サッカー日本代表の森保一監督らを育て、Jリーグ広島の総監督を務めた今西和男(いまにし・かずお)さんが16日午前0時12分、肺炎のため広島市内の病院で死去した。85歳。葬儀・告別式は17日午前11時から広島市南区大州5の3の22、平安祭典広島東会館で。喪主は妻美代(みよ)さん。訃報を受け、森保監督は日本サッカー協会を通じてコメントを発表。恩師への感謝の思いと、6月に開幕するW杯北中米3カ国大会での恩返しを誓った。

 今西さんは選手ではマツダ(現J1広島)の前身、東洋工業のDFとして日本リーグ発足の1965年から4連覇し、日本代表では66年アジア大会でプレーした。84年から日本リーグ2部に降格したマツダの監督に就き、日本代表監督にもなるハンス・オフトさんをオランダからコーチに招いて1部復帰を果たすなど再建を果たした。

 高校時代は無名だった森保監督を発掘したことでも知られる。長崎日大高の監督だった故下田規貴(きよし)さんから「いい選手がおりますよ」と書き添えられた年賀状を受け取り、現地へ視察。「全体を見る視野の広さを持っていた。希有(けう)な存在だった」と、才能を見抜き、獲得を決めた。

 東京教育大(現筑波大)出身で、教育者としての一面も色濃かった今西さん。「サッカーをやめた後に飯を食っていけない」と、森保監督、元日本代表FW高木琢也氏(現長崎監督)らの指導者としての礎を築いた。試合後に感想文を書かせたほか、スピーチの勉強会を実施。「話す、聞く、書く、読む」を徹底して教育した。

 森保監督は「言葉では表すことができないほどたくさんのことを学ばせていただき、成長させていただきました」と述懐。優勝を目指すW杯に向けて「今西さんが天国で誇らしく思えるようなサッカーをお見せできるようにまい進します」と決意を示した。

 ◆今西和男(いまにし・かずお)1941年1月12日、広島市出身。舟入高から東京教育大(現筑波大)を経て、東洋工業(後にマツダ)に入団した。84年からマツダ(現J1広島)の監督に就いた。総監督として広島で94年Jリーグ第1ステージを制覇。日本サッカー協会強化副委員長、岐阜(現J3)社長なども務めた。マツダ監督時代から選手育成を重視。「サッカー選手である前に良き社会人であれ」と説いた。

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