水沼宏太「父がいてくれたから」「常に自分を前に向かせてくれる」 偉大な父・貴史氏への思い
J1横浜Mの元日本代表MF水沼宏太(32)が、1日までにデイリースポーツのインタビューに応じた。歓喜のリーグ優勝に、自身初のA代表入りを果たした昨季の振り返りや、サッカー界のレジェンドである父・水沼貴史氏(62)への思いを語った。17日のリーグ・川崎戦(等々力)で迎える2023年シーズン。クラブ史上2度目のリーグ連覇へ向け、今季の鍵を握る男の人物像に迫った。
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-今年のキャンプで自身の強化のテーマとしていたことは。
「昨季はケガをしてしまった時期があった。今年はケガをしないで全試合に絡みたいと思うので、しっかりコンディションを上げ、戦える体を作っていきたいなと思います」
-体作りは順調か。
「本当に順調です。とにかく昨年の自分を超えたい。まだまだアップデートしなきゃいけないところもたくさんありますから」
(今や横浜Mに欠かせない存在だが、マリノスユースから昇格後は4クラブを渡り歩き、20年に古巣復帰も一昨年は先発出場1試合。そうした苦難の時期を乗り越え、昨季を最高の1年とした)
-一昨年と昨年で何が変わったのか。
「特に気持ちの部分はそんな変わりはなくて、マリノスのために全力で戦うのが大前提。その中でどれだけピッチ上で自分を表現できるかに特化してやっていました」
-強い決意みたいなものはあったのか。
「いろんなオファーをもらった中でマリノスでやると決めたので、もちろん覚悟はありました。それが結果につながったので良かったと思いますね」
-紆余(うよ)曲折を経て去年の優勝。感慨深いものがあったか。
「今まで関わってくれた人たちへの感謝の気持ちが一番。助けてくれた人、成長させてくれた人たちに本当に感謝したい。1人ではできなかった」
-他クラブに所属している時期、横浜Mをどう見ていたか。
「昔から憧れのチームというのは変わりなかったので、やっぱりカッコいいなぁって。ただ、戻りたいという気持ちはそれほどなくて。その時にいるチームが大好きで、そのチームのために戦ってきた。まさか、また帰ってくるとは考えてはなかったですね」
-一歩一歩の積み重ねが横浜Mへの復帰や優勝につながった。
「そうですね。そういう意味で、みんなが作ってくれた自分という気持ちです」
(父は日産自動車、横浜Mのレジェンドでもあり元日本代表の貴史氏。昨年は初のA代表入りにJリーグ優勝と、父と肩を並べるキャリアを得た)
-昨年の優勝やA代表入りに際して貴史氏からどんな言葉が。
「長い話はしてないです。代表に入った時も優勝した時も『良かったね』って。話さなくても伝わるものがあるので。何か言いたいことはあったかもしれないですけど、それだけでいろいろと父が考えていることは伝わってきますからね」
-父親の存在をどう感じているか。
「父が偉大な選手であったのは間違いないですが、有名だったことに嫌だって思ったことはないです。小さい頃から比べられることはありました。ただ、自分が活躍して(父と)一緒に有名になってやればいいなと思っていたので。父がいてくれたからこそ、ここまで来られた。本当に感謝しています」
-常に自分に前を向かせてくれる存在だと。
「そうですね。自分が決めたことに対して、いいんじゃないっていつも賛成してくれて、いつも一緒に寄り添ってくれました」
-チームの優勝に代表入り。父に肩を並べることができた。
「どうやったら超えられるかは、答えとしては分からないんですけど。自分としてはまだまだ父に及ばないと思っています。自分ができることを必死にやって、結果的にこうなったよって、胸を張って父に言えるぐらいになることができればいいかなと思います」
-去年を超える今年。まずは甲府と対戦する2月11日の富士フイルムスーパー杯(国立競技場)で最初のタイトル獲得を。
「やっぱり注目されると思うので、しっかり勝つことで今年の自分たちを示したい。そこからがスタート。波に乗っていくためにも最初の試合は大事だと思います」(デイリースポーツ・サッカー担当 中田康博)
◆水沼宏太(みずぬま・こうた)1990年2月22日、横浜市出身。横浜Mのユースチームを経て08年にトップチーム昇格。10年7月の栃木への期限付き移籍を皮切りに、鳥栖、FC東京、C大阪でプレーし、20年に横浜Mへ10年ぶりの復帰。22年はリーグ戦31試合出場7得点で2年ぶりの優勝に貢献した。同年7月の東アジアE-1選手権でA代表デビューも果たす。父は日産自動車、横浜Mで活躍した元日本代表の水沼貴史氏。176センチ、72キロ。