日本が熱狂したペレ氏の“魔法” 77年引退試合超満員で協会の借金〝帳消し〟

 1976年9月、日本選抜と対戦し、ゴール前に突進するニューヨーク・コスモスのペレ氏(右)
1977年9月、引退試合の古河電工戦でプレーするニューヨーク・コスモスのペレ氏
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 29日に死去した「サッカーの王様」ペレさん(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)は選手として4度来日し、6試合でプレーした。世界各地と同様に日本でも観客を熱狂させた。(文中敬称略)

 ▽ベストゴール

 1972年5月26日、サントスの一員として東京・国立競技場で日本代表と初対戦した。公式発表で5万5千人の大観衆を集め、試合直前にサントスが日の丸を掲げて入場すると、興奮した大勢の子どもや大人がスタンドからピッチになだれ込んだ。もみくちゃにされた「王様」はシャツをはぎ取られ、更衣室に逃げ込む一幕も。

 試合では後半29、31分に2点を決め、3-0の快勝に導いた。いずれも日本ゴールを背にしながら浮き球を巧みに操っての技ありゴール。特に自身の2点目は圧巻だった。ボールを胸で止め、反転するやいなや足で浮かして頭で突っつき、2人を抜き去って左足でズドン。試合後「生涯で最高のゴール」と語った。

 ▽終了で猛ダッシュ

 76年9月にはニューヨーク・コスモスを率いて、日本リーグのブラジル人選手や大学生を含む日本選抜と2試合を行った。神戸での第1戦は無得点で0-0、東京での第2戦は1アシストで2-2だった。本来はファンをとても大切にするが、4年前のような大混乱を避けるためか、試合終了の笛とともに猛ダッシュで国立のメインスタンド下に逃げ込んだ。

 ▽引退試合は超満員

 77年9月、コスモスでの現役引退世界ツアーの一環で「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」と銘打った2試合が実現した。古河電工(現千葉)との第1戦は、終了間際の直接FKで大きく曲がるバナナシュートを決め、4-2で試合を締めくくった。

 4日後の日本代表戦は無得点に終わったが3-1。日本の偉大なエース釜本邦茂の代表最後の試合でもあり、試合後に2人はユニホームを交換、日本選手に肩車されて大歓声に応えた。

 国立は公式発表で観衆6万5千人の超満員。日本サッカー協会は2試合の収益で一時1億円を超えた負債を完済し、慢性赤字から脱却できた。まさに日本協会の救世主となった。

 ▽釜本引退戦に参加

 43歳だった84年8月25日には、釜本の引退試合に「友情参加」。日本リーグ選抜と対戦した釜本のヤンマー(現C大阪)で後半8分からプレーし、もう一人のゲスト参加者、かつての西ドイツの司令塔オベラートの得点をアシストした。2人は試合後、釜本を肩車して功績をたたえた。

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