小嶺忠敏さん死去 国見高でサッカー高校選手権6度V 入院中もグラウンドで指導

 長崎・国見高サッカー部を指導して全国高校選手権を戦後最多タイの6度優勝に導いた元監督の小嶺忠敏(こみね・ただとし)氏が7日午前4時24分、肝不全のため長崎市内の病院で死去した。76歳。長崎県南島原市出身。葬儀・告別式は9日正午から長崎県南島原市深江町丁4593、南高葬儀社寳玉殿で。喪主は妻厚子(あつこ)さん。

 昨年12月に長崎総合科学大付高が実施した合同取材で、小嶺監督は間近に迫った全国選手権への意欲を示していた。かつてより痩せていたものの、鋭い眼光からは節目の第100回大会に懸ける思いが伝わった。

 同校の松本浩校長によると、小嶺監督は昨年12月上旬から体調を崩し入院していた。周囲には心配する声もあったが、全国選手権の出場前に校長室で話をした時も「全国でも勝たせてみせます」と語っていたという。

 以前から検査などで入退院を繰り返していた。松本校長が入院を知るのはいつも後日。「チームを動揺させたくなかったのでは」と名将の心中を思いやった。

 今回の入院中も、病院からグラウンドに来て指導したこともあったという。首都圏で開催された大会には体調不良のためにベンチ入りできなかったが、松本校長は「子どもたちも『勝ち進めば小嶺監督が戻ってくるはず』と思っていたでしょう」と話す。

 合同取材の際、小嶺監督は「もうやめろ、という人もたくさんいた。それでもこの子たちを放っておけない」と練習に取り組む選手を見つめながら話した。多くの名選手を日本サッカー界に送り出した名将は、選手に寄り添い、最後までサッカーへの情熱にあふれていた。

 ◆小嶺 忠敏(こみね・ただとし)1945年6月24日生まれ。76歳。長崎県出身。長崎・国見高を率いて全国高校選手権を6度制し、後に日本代表で活躍する大久保嘉人ら多くの選手を育てた。05年のV・ファーレン長崎の立ち上げに携わり、社長も務めた。長崎総合科学大付高の現監督として、開催中の全国選手権出場に導いた。

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