そして誰もいなくなった…「貴乃花」騒動史

23年連れ添った景子夫人との離婚が明らかになった元貴乃花親方。「卒婚」と称してはいるが世間を騒がせたことには変わりない。宮沢りえとの婚約解破や兄弟確執、協会との闘いなど騒動の歴史を振り返る(敬称略)

公開日:2018.11.29

93年1月28日の1面

 電撃発表からわずか94日で“世紀の恋”は終わってしまった。結婚を機に「仕事をやめてほしかった」という貴とのすれ違い。りえ単独での悲しき破局会見は、よりにもよって貴の大関昇進の日だった。「愛情がなくなった」という貴の名言は、りえをかばって自身が汚名を被るつもりだったのかどうか、真相は当人たちにしかわからない。

98年9月 整体師に洗脳されてる?兄・若乃花を批判、親とも絶縁状態に

98年9月10日の紙面

 「相撲の基本ができてない」など実兄・若乃花を猛烈に批判する貴に、父・二子山親方が苦悩の会見。親とも絶縁状態だといい「貴よ目を覚ませ」という見出しは父の本心を代弁したものだったのかもしれない。
 「整体師に洗脳」やら「兄弟、親子絶縁」やら、キャッチーな?キーワード満載だった本件は連日ワイドショーの格好のネタとなり、日本中の下世話な好奇心を刺激しまくったのであった。

04年9月 元兄弟子の千田川親方の転籍認めず “押し問答”がドロ沼化

 03年に引退し一代年寄・貴乃花親方となって1年余、今度は元兄弟子とのバトルが勃発した。6月に父・二子山親方から継承した部屋を貴乃花部屋に改称して一国一城の主となったが、部屋付き親方として所属していた藤島親方(元・安芸ノ島、04年に千田川親方に名跡変更)との確執が生じる。千田川親方は高田川部屋へ移籍を希望したが、所属先変更に必要な旧所属部屋の親方の承認を貴乃花は拒否。「ハンコ押せ」「押さない」の文字通りの“押し問答”は北の湖理事長が苦言を呈するほどの騒動に発展した。結局、特例で師匠・貴乃花の承認印は免除され、保証人として先代・二子山親方の印で移籍が認められた。

05年4月 「年寄株」失くした!音羽山親方ともども怒られた

 転籍騒動から約半年後、今度は自身の年寄株に関する騒動を起こしてしまった。
 貴乃花と音羽山親方はそれぞれが所有する「山響」、「音羽山」の年寄名跡証書を紛失したと05年4月22日に協会に届け出た。同証書は年寄名跡の権利者の証しとなるもので、同協会は紛失届を受理して再発行した。過去に大鵬親方(元横綱)が引っ越しの際になくした前例はあるが、同部屋で相次いで紛失したのは異例。事情聴取した北の湖理事長(元横綱北の湖)は「家の中にあってもうっかりする場合はある。だが大事なものだし、しっかり保管しないといけない」と言い、両親方には注意したという。今回は「協会で台帳が作られており、資格のある者が継げる問題」として、証書の再発行が認められた。【05年4月23日の紙面より抜粋】

新着のまとめ

もっと見る

主要ニュース

リアルタイムランキング

まとめ記事ランキング