そして誰もいなくなった…「貴乃花」騒動史

23年連れ添った景子夫人との離婚が明らかになった元貴乃花親方。「卒婚」と称してはいるが世間を騒がせたことには変わりない。宮沢りえとの婚約解破や兄弟確執、協会との闘いなど騒動の歴史を振り返る(敬称略)

公開日:2018.11.29

92年10月26日 「宮沢りえと婚約」で西武日本一吹っ飛ばす

 92年の日本シリーズを制し3連覇を達成した西武ライオンズ。翌日のスポーツ紙1面はその偉業一色になる、はずだった。しかし「貴りえ婚約」という平成のスーパースターカップル誕生のニュースがすべてを持って行ってしまった。
 26年後の今年、10年ぶりのリーグ優勝目前だった西武の前にまたも貴が立ちはだかる。「貴退職騒動」に列島はクギ付け。西武ファンの知人の「貴乃花は西武に恨みでもあんのか」というつぶやきが印象的だった。

92年10月27日の1面

92年11月27日 ピンクの着物でラブラブ婚約会見

92年11月28日の1面

 電撃発表から1ヵ月後に行われた婚約会見では、貴りえそろってピンクの着物を着てラブラブぶりを見せつけた。デイリー本紙でも1面は2人の写真を最大限に生かし、見出しも極力少なくした異例の紙面づくりを行った。2、3面までブチ抜いた上、後方でも2ページを割くという計5ページの大展開だった。

92年11月30日 フィーバー過熱でイライラ?高校生を思わずポカリ

92年12月1日の1面

 婚約会見の視聴率が40%を超えるなど「貴りえフィーバー」が過熱しまくる中で事件は起きた。巡業中に背中を叩かれたことに激高し、その高校生を思わずポカリと叩き返してしまったのだ。今ならとんでもないバッシングの嵐にさらされる事案だろうが、編集Wも貴騒動を検索するまで忘れていた。

93年1月27日 “世紀の恋”わずか94日で終焉

新着のまとめ

もっと見る

主要ニュース

リアルタイムランキング

まとめ記事ランキング