天山広吉、引退試合で限界突破…セレモニー後に倒れ込む「出し切った」異例の時間無制限変更で盟友に玉砕「悔いない」新日本一筋35年の人気者、涙の別れ
「プロレス・新日本」(15日、両国国技館)
新日本一筋35年の“猛牛”天山広吉(55)の引退試合が行われた。名タッグ「テンコジ」の相棒・小島聡(55)との一騎討ちは自らの要求で5分一本勝負から時間無制限に変更して臨み、9分22秒、3発目のラリアットを食らって玉砕。超満員札止めの7777人が「天山」コールを響かせ、引退セレモニーで10カウントゴングを聞くと、立っているのもやっとの肉体は限界を迎え、真後ろに倒れ込んだ。
不屈のバッファローは最後までプロレスラーとしての生き様を刻んだ。天山はおなじみのマウンテンホーンを付けてリングインすると「おいコジ、5分一本勝負じゃなく、時間無制限でやろうぜ」とぶち上げて異例の変更を要求。長年のダメージで走ることもままならない中、代名詞のモンゴリアンチョップを計10発繰り出し、会場を「シュ~~」の大合唱に染めた。ブレーンバスターで投げるとアナコンダバイスで締め上げ、ムーンサルトプレスを狙おうとコーナーに登ろうとして悲鳴が上がったが、これは小島が阻止。逆に「いっちゃうぞバカヤロー!」からのダイビングエルボーを食らったが、必死に返した。盟友からの「立てよ!」の叫びに鼓舞されて立ち上がり、小島の必殺技であるラリアットを食らったが、キックアウト。会場が驚く中、さらに追撃のラリアットをカウント1で返して大きなどよめきを誘ったが、とどめの右腕を食らって最後の3カウントを聞いた。
1990年3月に入門し、入寮2日目に夜逃げしたが、再入門を経て91年1月にデビュー。新日本一筋35年でIWGPヘビー級王座を4度戴冠し、G1クライマックス3度の優勝を誇るなど団体をけん引してきた。一方で、長年のダメージ蓄積で首、膝、腰などに慢性的な痛みを抱えるなど満身創痍(そうい)で、昨年5月には国から難病にも指定されている「黄色靱帯骨化症」と腰椎の手術を受け、1年以上試合から遠ざかっていた。
ラストマッチの後は電撃登場した「友情タッグ」の元盟友・飯塚高史と“和解”を果たし、約40分間の引退セレモニーでは団体OBの恩人である蝶野正洋、長州力、馳浩、藤波辰爾、武藤敬司や、親交のある三浦大輔氏(前DeNA監督)、金原弘光、ケンドー・カシン、秋山準から労いを受けた。目に涙を浮かべながら「本日をもって私、天山広吉は現役を引退いたします。本当につらいことが多かったが、皆さんのおかげでやれました。思い出深い両国で最後の試合ができて、本当に幸せ者です」と万感を込めたが、肉体は限界に達しており、フラフラしながら引退の10カウントゴングを聞いた後はすぐ真後ろに倒れ込んだ。
最後まで魂で戦う姿を見せつけた。「最後(小島のラリアットで)首が折れるかと思ったが、これで悔いなく次のスタートに立てる。今持っているものを出し切った。思い入れのある会場で、最後はテンコジ対決で身の心もスッキリ。もっと泣くかと思ったが、意外と(そこまで泣かなかった)。技うんぬんではなく、向かっていく気持ち(を出せた)。馳さん、長州さんに教育された世代なので、ナニコラって気持ちを持って戦ってきたので。今の世代の人も、根性論を押しつけるわけではないが、歯を食いしばって(熱い試合を)お客さんに見せてもらいたい」。引退後もタレント活動などを続けるが、「体もしっかり治したい。リングに立つことはないが、新日本の若い世代を陰ながら応援したい」と晴れやかに語った。
◆天山広吉(てんざん・ひろよし=本名・山本広吉)1971年3月23日、京都府出身。91年1月にデビューし、海外武者修行から凱旋帰国した95年1月にリングネームを本名から「天山」に変更した。2003年にG1初優勝、IWGPヘビー級王座は4度獲得。得意技はモンゴリアンチョップ、TTD、アナコンダバイス、ムーンサルトプレスなど。183センチ、115キロ。