【新日本】天山広吉が涙の引退試合 惜別のモンゴリアンチョップ10発に超満員7777人が「シュ~」最後は盟友・小島聡のラリアットに沈む
「プロレス・新日本」(15日、両国国技館)
新日本一筋35年の“猛牛”天山広吉(55)の引退試合が行われた。名タッグ「テンコジ」の相棒・小島聡(55)との一騎討ちで9分22秒、ラリアットで3カウントを奪われた。代名詞のモンゴリアンチョップを計10発繰り出し、超満員7777人の「シュ~~」が鳴り響く中、涙でリングに別れを告げた。
最後までプロレスラーとしての生き様を刻んだ。天山はおなじみのマウンテンホーンを付けてリングインすると、いきなりマイクを持って「おいコジ、5分一本勝負じゃなく、時間無制限でやろうぜ」とぶち上げた。棚橋弘至社長(49)がGOサインを出したため、時間無制限一本勝負に変更された。
かつてのパートナーであり恩師の蝶野正洋(62)や、元テレビ朝日の辻よしなりアナウンサー(65)が実況・解説席で見つめる中、ゴングが鳴らされた。チョップ合戦から、モンゴリアンチョップを繰り出した。長年のダメージで走ることもままならない中、コーナーの小島にもたれかかるようにラリアット。さらにブレーンバスターで投げ、アナコンダバイスに捕らえた。
ムーンサルトプレスを狙おうとコーナーに登ろうとして悲鳴が上がったが、これは小島が攻撃で阻止。逆に「いっちゃうぞバカヤロー!」のかけ声からダイビングエルボーを食らったが、必死に返した。大の字になったが、小島から「立て、立てよ!」と叫ばれ、立ち上がった。コジコジカッター、さらに小島の代名詞であるラリアットを食らったが、カウント2・9でキックアウト。会場がどよめく中、さらに小島のラリアットをカウント1で返してどよめきを誘ったが、とどめのラリアットを食らってカウント3を聞いた。
天山は1990年3月に入門し、入寮2日目に夜逃げしたが、5月に再入門して91年1月にデビュして以来、新日本一筋35年。海外武者修行から帰国した95年1月には、本名の山本から「天山広吉」にリングネームを改名した。さらに、「狼軍団」「nWo JAPAN」「TEAM2000」、「CTU」「G・B・H」などヒールユニットを渡り歩き、蝶野や真壁刀義らと共闘した。
シングルプレーヤーとしてもIWGPヘビー級王座を4度戴冠し、真夏の祭典「G1クライマックス」で3度の優勝を誇るなど、90年代~2000年代の新日本をけん引する存在だった。また、退団者が相次いだ新日本で、屋台骨を支え続けた。ただ、長年のダメージ蓄積により、首、膝、腰などに慢性的な痛みを抱えるなど満身創痍(そうい)だった。昨年5月には国から難病にも指定されている「黄色靱帯骨化症」と腰椎の手術を受け、1年以上試合から遠ざかっていた。
今年5月に現役引退を表明し、「プロレスラーとしてリング上で最低限見せなきゃいけない(ものを)、お客様に高いお金を払ってもらって対価として見せられる自信がなくなったときがあった。ここは(進退を)ハッキリさせなきゃいけない」と語った。現役最後の試合で、盟友の小島との一騎討ちが決まった。
◆天山引退セレモニー出席者 三浦大輔(DeNA前監督)、金原弘光、ケンドー・カシン、秋山準、馳浩、武藤敬司、長州力、藤波辰爾、蝶野正洋
◆天山広吉(てんざん・ひろよし=本名・山本広吉)1971年3月23日、京都府出身。91年1月にデビューし、海外武者修行から凱旋帰国した95年1月にリングネームを本名から「天山」に変更した。2003年にG1初優勝、IWGPヘビー級王座は4度獲得。得意技はモンゴリアンチョップ、TTD、アナコンダバイス、ムーンサルトプレスなど。183センチ、115キロ。
