初代タイガーマスクの新たな誕生秘話披露 佐山サトル「最初にタイガーマスクの映画を撮る」
初代タイガーマスクの佐山サトル(67)が23日、東京・千代田区の神田明神で「佐山武道 初代タイガーマスク 佐山サトル特別講演会」を開催した。
毎夏恒例の講演会で、今回は「精神論」「タイガーマスクの真実」「修斗」の3つのテーマでトークを展開。1981年にタイガーマスクが誕生した際、新日本プロレスの“過激な仕掛け人”新間寿氏との2つのエピソードを初めて披露した。
1978年、21歳でメキシコに海外武者修行に出発。その後、サミー・リーのリングネームで、ブルース・リーを想起させるスタイルで英国マットで活躍中、新間氏に帰国指令を受けた。
その新間氏が今年4月に90歳で死去したことを受け、「新間さんは。そんなこと言っていない、と話していたが、もう天国にいるので」と断った上で、「日本に帰ってタイガーマスクになって、最初にタイガーマスクの映画を撮る、と言われた」と、新エピソードを明かした。
当時、英国でタイトルマッチが控えていたため渋った佐山。何度も帰国を求める連絡が続き、「新間さんに、猪木の顔をつぶすことになるから頼む、と言われて、帰ろうかなと思いました」と心境の変化を述懐。そして「今だから言えることがある」と前置きしてから「税金の関係で国を出ることができません、と言った。僕のウソです」と新たな秘話を披露。会場は笑いに包まれた。
佐山は「帰りたくなかったのでウソをついた」としつつ、「そしたら新間さんが、政府の方に手を回して…」と、帰国せざるを得ない状況に至ったという。
ほかにも、中学時代に祖母が死去した際にプロレスラーになることを誓ったエピソード、入門2年目に付け人についていたアントニオ猪木が「プロレスに市民権を」という言葉に触発され、後の修斗につながる新たな格闘技創設を決意したエピソードなどを披露した。
1981年4月にダイナマイト・キッドと対した、タイガーマスクのデビュー戦も回顧。試合前に「あきらかにマジックで描かれていた」という粗末なマスク、そして腰までしかない短いマントを初めて渡された。「オレはチンドン屋みたいだ。失意のどん底だった」と気持ちした。試合では「ダイナマイト・キッドは素晴らしい選手だった」と言いつつ「それでも僕はいい試合と思っていなくて、さあ(英国に)帰ろうという気持ちでした。リングを下りて控室に戻ると、記者が押し寄せてきて『素晴らしい試合だった』と言われた。初めて良かったのか、と知りました」と語った。
他にも目白ジムでキックボクシングの練習を重ねた時からの付き合いという、伝説のキックボクサーだった藤原敏男の酒癖の悪さを暴露。自身が構想し、息子の佐山聖斗氏にプロデューサーを託した新格闘技アルティメットシューティングの紹介を行うなどした。

