ハルク・ホーガンさん死去 「超人ハルク」よ安らかに 「イチバ~ン!」パフォでファン魅了 猪木舌出し失神KOは名場面

 米国を代表するプロレスラーでスーパースターのハルク・ホーガンさんが24日、自宅のある米南部フロリダ州で死去した。71歳。世界最大の団体WWEの公式などが発表した。AP通信によると、自宅で心臓発作を起こし、搬送先の病院で死亡が確認された。2メートルを超える長身と筋骨隆々な肉体から繰り出すパワフルなファイト、そして華やかなパフォーマンスで人々を魅了し続けた。日本でもアントニオ猪木と名勝負を繰り広げたレジェンドが、この世を去った。

 トレードマークの口ひげに筋骨隆々の肉体美でおなじみの超人が突然、帰らぬ人となり、世界中のプロレスファンが悲しみに暮れた。

 ホーガンさんは1977年にプロレスラーとしてデビューし、人気コミック「超人ハルク」を由来に79年からハルク・ホーガンと名乗った。80年に来日し、新日本に参戦。右手人さし指を高々と上げ「イチバ~ン!」と叫ぶ決めポーズが人気を博し、黒のショートタイツに白字で「一番」と書いたコスチュームもおなじみとなった。そして、右肘をL字に曲げて相手にたたき込む「アックスボンバー」は代名詞の必殺技となった。

 特に日本社会に衝撃を与えたのは83年6月2日、蔵前国技館で行われたIWGP優勝決定戦だった。猪木との頂上決戦で、ホーガンさんはエプロンに立った相手にアックスボンバーをぶち込み、KO勝利。猪木は舌を出して失神し、病院に搬送されたが、“舌出しKO事件”としてプロレス史に刻まれる名場面となった。

 80年代中盤にWWF(現WWE)に復帰してからはエースとしてスター街道を歩んだ。圧倒的なカリスマ性で全米を魅了し、85年の第1回レッスルマニアを経て、現在まで続く世界最大の団体に成長させる立役者となった。90年4月に東京ドームで開催された「日米レスリングサミット」では、スタン・ハンセンとの頂上決戦で勝利した。

 WCW時代の96年にはケビン・ナッシュ、スコット・ホールとヒール軍団「nWo」を結成。黒地に白いロゴの「nWo」Tシャツが驚異的な売り上げを誇るなど悪役としても一世を風靡(ふうび)した。蝶野正洋や武藤敬司も参加した「nWoジャパン」として派生するなど日本でも大人気となった。WWE復帰後はザ・ロックとの新旧カリスマ対決も実現。2005年に殿堂入りした。

 また、映画「ロッキー3」、ドラマ「特攻野郎Aチーム」などに出演し、活動は多岐にわたった。私生活ではスキャンダラスな一面も見せたが、カリスマ性は絶大で、昨年の大統領選では共和党候補のドナルド・トランプ氏(現大統領)を支援し、7月の党大会で演説した。

 プロレスの枠を超え、米国を象徴するスターだった。WWEは公式Xで「ポップカルチャーで最も象徴的な人物の1人として知られ、1980年代にはWWEが世界的な認知を得る上で非常に大きく貢献してくださいました。心より哀悼の意を表します」と悼んだ。

 ◇ハルク・ホーガン 1953年8月11日、米ジョージア州出身。本名テリー・ボレア。1977年にプロレスデビューし、79年にテレビ番組「超人ハルク」を由来に、現リング名に変更。80年には新日本に参戦し、アントニオ猪木の好敵手として名勝負を繰り広げた。世界最大のプロレス団体WWF(現WWE)で何度も王座を獲得し、2005年に殿堂入り。「ロッキー3」など映画やドラマにも多く出演した。必殺技はアックスボンバー、米国ではレッグドロップ、ビッグ・ブーツなど。201センチ、120キロ。

 【追悼コメント】

 ◆蝶野正洋(公式Xで)「突然のことで言葉もありません。偉大なレスラーであり、プロレス史上最大の功労者ハルク・ホーガン。心よりお悔やみ申し上げます。Hulk Hogan is Forever my hero.」

 ◆武藤敬司(公式Xで)「プロレス界ナンバー1のスーパースターのあなたとシングルマッチで戦えたこと、タッグで共に戦えたこと、nWoのチームで一緒に戦えたことは今でも鮮明に覚えています。心よりご冥福をお祈りします」

 ◆ゆでたまご嶋田隆司氏(漫画『キン肉マン』作者)「悲しい。あんなスーパースターは何十年たっても出てこない。代わりに(ホーガンさんをモデルにした)オマージュキャラ、ネプチューンマンを暴れさせます」

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