50歳辰吉が初告白!左ノーガードの真実 網膜剥離を逆手に取る秘策だった

 50歳を迎える辰吉丈一郎は、デイリースポーツのインタビューに熱く語る(撮影・山口登)
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 1990年代、日本ボクシング界は一人の男が中心だった。WBC世界バンタム級王座に3度就いた辰吉丈一郎だ。国内最速(当時)の8戦目で世界奪取、度重なる眼疾、世界戦3連敗からの返り咲きなど強烈なインパクトを与え続け、試合から遠ざかった今も現役を名乗る。5月15日で50歳を迎えた“浪速のジョー”が独占インタビューに答え、スリリングな試合を呼んだ極端に低い左ガードは、網膜剥離で視野が奪われたことを逆手に取った秘策であったことなど、知られざる真実を語った。

 ◇  ◇

 引退勧告をはねのけ、日本でライセンスを失い、たどり着いたタイでの試合を最後に11年。気が遠くなるような時間をひとりトレーニングに費やしてきた。そして、辰吉はきょう50歳になった。

 「今はコロナでジムが閉まってるから、明けても暮れてもロードワークしてる。朝夕2回走って、あとはシャドーくらいしかできんけど。事態が収まってさあ練習できるとなっても、年と共に体は老いてるから、昔みたいには動けない。だからやっておかんとね。(コロナ禍までは)ジム4つを掛け持ちで週6日。もう34年もこんな生活やな」

 2009年のタイでの敗戦後、日本ボクシングコミッション(JBC)は、現地の統括団体に辰吉の試合を組まないように要請した。かつてベルトを保持したWBCも同様で、現実的には海外の道も断たれた。長い時間の中で、全盛期を知らない息子の寿以輝はプロボクサーになった。それでもまだベルトを諦めないのはなぜか。

 「逆にそう聞かれるのをびっくりする。だから練習してるんよ。老化は避けられへんけど、老化の速度は抑えられる。どう言うたらええかな。説明が難しい。でも、ボクシングしか知らんし、ボクシングが好きなんよ。これを取りあげられたらちょっと待ってくれってなる。結果的には自己満足の世界。いつまでとかどうなったらとかじゃなく自分が納得したら引退するよ」

 1991年、リチャードソンを下して、当時国内最速のプロ8戦目で世界王者になった。21歳のあの時から辰吉のボクシング人生は「引退」と常に隣り合わせだった。運命は、初戴冠直後に負った左目の網膜裂孔、その後の網膜剥離にほんろうされた。これから大輪の花が開く、気力も体力も最も充実していた時期に若き辰吉は頭を固定され、長く病院のベッドにいた。

 「手術したら、距離感がまったくわからなくなった。(相手が)動いてるなっていうのがわかるくらい」

 自宅の窓から遠くの山を見つめて、自分なりに視力回復を目指した。ただ、越えられない壁があった。それは奪われた視野だ。

 「視力自体はよくなったけど、視野は治らへんねん。穴がふさがれへんから網膜を縮めて縫う。それを(補強手術を含め)3回も繰り返したから視野が狭まった。上下左右ともね。海外のドクターにもたくさん見てもらったけど(執刀した医師の)技術はパーフェクトやって言われた。でも、やっぱり正面しか見えへんかった」

 当時定められていた網膜剥離の既往症のある選手は即引退というJBCルールは、ファンの署名活動などもあり緩和された。しかし、選手の健康管理は社会問題にまで発展。「負ければ引退」が前提の中、ボクサーにとって命取りでもある視野の欠落を抱え、勝つために選んだのが、当時批評されたノーガードに近い左だった。

 「今まで誰にも言うてないけど、実は剥離になってから必要以上に左のガードを下げてるねん。当時は、俺の左目を狙えって言われてた。それでさらにガードを下げるって変やろ。でも、訳がある。不思議なもんで(ボクサーは)距離感を探って(ジャブを出す時に)グローブを狙ってくる。ただでさえ左目は見えにくいのに、(右構えの辰吉は前の手の左手を狙われるため)さらにうっとうしい。でも(左ガードを)下げてたら(相手は的がなく)打ってこない。カウンターをとろうとするから(手数が減り)見やすくなる。だからああいうスタイルになった。ちゃんと根拠があるねんで」

 極端に低い辰吉の左ガードは、鋭い反射神経を生かして瞬時に攻撃に移るためとされていた。そして、その原点はいじめられっ子だった頃、左手を低く構え、相手の蹴り足をつかめと父の粂二さんから教わったことにある。

 リスク覚悟の攻防一体の構えは、視野を奪われたことでさらに激闘型へと傾いた。伝説となった薬師寺保栄との死闘や劇的復活を果たしたシリモンコン戦。血みどろのサラゴサ戦やウィラポンへの惨敗。栄冠も屈辱も、壮絶な闘いはすべてあの眼疾に帰結していた。

 「でも、俺はハンディとは思ってないよ。自分が行く道にたまたまアクシデントがあったというだけで、剥離になろうがなろうまいが自分のしたいことをするだけ。自分がこういう人間のままで終わったらあかんというプライドがあった」

 不屈の精神で2度返り咲き、不死鳥ともカリスマとも呼ばれた。それでも、心の奥底には苦悩の日々が残像のようにこびりついている。まだ「納得」できないのはそのせいか。

 「それは納得したらわかるんちゃう。納得せなわからへん。俺は(ボクシング人生の)途中で考えが変わってる。こうなってああなってと漠然とした目標があって、でも、その進路に網膜剥離はなかった。父ちゃんと約束したのは王者になったら引退ってこと。でも、すぐ剥離になってしまった。だから、自分がこういう形で終わりたいという形で終わりたい。辰吉は、辰吉で終わらなあかんからね」

 ◆辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)1970年5月15日、岡山県倉敷市出身。中学卒業後に故郷を離れ、大阪帝拳に入門。アマで全日本社会人選手権優勝などを経て、89年プロデビュー。4戦目で日本バンタム級王座、8戦目でWBC世界同級王座を獲得。3度の戴冠、2度の王座奪回を果たす。プロ通算28戦20勝(14KO)7敗1分け。家族は妻のるみさん。2人の息子は結婚して孫が1人。プロボクサーの次男・寿以輝(23)=大阪帝拳=は日本スーパーバンタム級8位。

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