馬場元子さん 乙女のように馬場さん一筋…15歳で芽生えた恋貫いた

 全日本プロレスは23日、故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で元社長の馬場元子さんが14日に肝硬変で死去したと発表した。78歳。19日に通夜、20日に告別式が親族のみで執り行われた。関係者によると、元子さんは肝臓を悪くして昨年6月に入院。一時は回復したものの、14日に容体が急変し、都内の施設で息を引き取ったという。

 故ジャイアント馬場さんの夫人で“最強のマネジャー”でもあった元子さんが天国に逝った。元子さんとは、馬場さんとの結婚が公になった82年から担当記者として面倒を見ていただいた。

 誕生日が同じで、全日本の年頭の後楽園ホール2連戦初日(1月2日)には「また年をとりましたね」と、新年と誕生日のあいさつを交わすのが恒例だった。

 15歳で芽生えた恋を貫き、年をとっても乙女のように馬場さん一筋の人だった。「馬場さんを大事にしてくださる方は、私も大事にします」-。馬場さんをガードするためにあえて嫌われ役となり“毒舌”も吐いた。

 親族の話では、亡くなる直前まで“元子節”は健在だったそうだ。13日は施設で食事を取り、薬も飲んで就寝。しかし翌14日に容態が急変したという。

 99年1月に馬場さん死去後、トップを引き継いだ故三沢光晴さんと経営面で衝突。翌00年に大量離脱事件が起こり、全日本も窮地に陥った。

 解散という選択肢もあったが、社員の熱意に打たれて自ら社長に就任。馬場さんが残した私財を投じて全日本を守った。ノアを旗揚げした役員選手は背任行為として訴えることもできたが「彼らが食べられなくなる」と、裁判にはしなかった。

 昨年1月、元気がなかった元子さんを励まそうと、都内の自宅で開かれた喜寿を祝う会でお会いしたのが最後になった。自宅には馬場さんの遺骨が長く保管されていた。

 全日本の混乱、さらに王貞治夫人の遺骨盗難事件(02年)もあり、墓荒らしを危惧して納骨を引き延ばしてきた。元子さんの実父が眠る明石市内の墓の隣には馬場家の墓石が建てられており、6月には馬場さんと夫婦そろって納骨されることになる。

合掌。(デイリースポーツOB・宮本 久夫)

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