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久保隼×坂口佳穂(1)一度はボクシングを辞め…ホームレスと縄張り争いしてました

 笑いの絶えないインタビューとなった坂口佳穂(左)と久保隼(撮影・石湯恒介)
 ロングインタビューを行った坂口佳穂(左)と久保隼=神戸市内(撮影・石湯恒介)
 坂口佳穂(左)と久保隼
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 今年4月に無敗のまま王座を獲得したボクシングのWBA世界スーパーバンタム級王者・久保隼(27)=真正=が9月3日に控える初防衛戦を前にロングインタビューに応じた。ビーチバレーで2020年東京五輪出場を目指す坂口佳穂(21)=マイナビ=が今回がインタビュー取材に初挑戦し、王者の内面に迫った。競技は違えど、アスリートしての共通項のある両者。“ポスト長谷川穂積”としての道を歩み始めた王者が、“ビーチの新妖精”に等身大の自身を語った様子を全3回の動画で紹介する。

  ◇  ◇

 7月某日の午後、神戸市内でインタビューは行われた。インタビュアーとしての初陣を、やや緊張しながら待つ坂口の元へ、久保も少々硬い表情で登場した。

 坂口「ビーチバレーをしている坂口佳穂です。よろしくお願いします」

 久保「ボクシングをしています久保隼です。よろしくお願いします」

 お互い自己紹介の後、握手を交わして始まった。

 ▼きっかけ

 坂口「今日はいろいろ聞きたいことがあるんですけど、まずボクシングを始めたきっかけを教えていただいていいですか」

 久保「僕は小さい頃、本当に何も興味がなくて、父親(※1)にも興味がなくて、父親が過去に何をしたか全然知らなかったんですよ。だけど唯一、家にあった父親の物で残っていたのが京都代表のトロフィーやったんですよ」

 坂口「京都代表?」

 久保「はい。それが何のトロフィーかということは小さい頃は分からなかった。トロフィーの上にボクシングの構えをしている人がいて、ボクシングなんやと分かったのが小学校5年の時。それで5年の時に、ボクシングをしてみたいなと思って、父親に『ボクシングをしたい』と思いを伝えたら、『ボクシングは本気でやらないとほんまに危ない競技やから、18になってからでも遅くないから、その時にやりたかったらやれ』と断られた。それでも中2の時にもう一回やりたいと伝えたら、『一回やってみようか』となってそこからですね」

 坂口「それまではスポーツは何もしてこなかったんですか」

 久保「してこなかったですね。ボクシングのために走ること(※2)を嫌にならへんために陸上だけやっておこうと思ったのが中1の時。でもボクシングのためと思ってたんで」

 坂口「中学2年生からボクシングジムに通い始めたのですか」

 久保「父親に、家のほんまにちっさな廊下で毎日毎日教えてもらっていました。週に1回だけ高校(※3)に練習に行ってというのが最初です」

 坂口「家の廊下で」

 久保「基本だけですけど、毎日父親と」

 坂口「高校に入るまでずっとそういった生活だったんですか」

 久保「そうですね。中学校2年の2月からなんで、ほぼ中3から」

 坂口「すごい新鮮です。練習といったら体育館とかのイメージがあります」

 久保「父親が仕事から帰ってくるのが7時くらいやったんで、それから家で練習していました」

 ▼父親との確執

 坂口「そんなお父さんとの思い出はありますか」

 久保「父親とはボクシングをするまで全然会話なかったんですよ」

 坂口「無口なんですか」

 久保「元々そんなにしゃべる方ではなかった。でもボクシングを始めて、ボクシングの話題で盛り上がるようになった。ほんまにボクシングだけでしか繋がりがなかったんで。それが僕は一度、大学(※)3年の終わりの時なんで、今の坂口さんと同じ年齢くらいの頃に、ボクシングを辞めようと思って。で、辞めたんですよ」

 坂口「辞めたんですか!」

 久保「はい。一度辞めています。1年間。その時に父親に電話でブチ切れられて、けど意地張って家には帰らんとこうと思って、真冬の京都に12月、1週間公園で寝泊まりしたんですよ。その時本当に死ぬかと思うくらい寒くて。朝起きてもすることないんで、京都を一日中ぐるぐる周るんですよ。そんで帰ってきてまた寝る」

 坂口「徘徊みたいな感じですね(笑い)」

 久保「そうです(笑い)。メディアの方に伝え方があれやったんですけど…。『僕の周りにホームレスさんしかいいひんかった』って言ったんですよ。僕が公園のベンチで寝ていたら、奥の方の溝でホームレスの人が寝ているんですよ。それで僕が1日かけて歩いて帰ってきたら、そのホームレスさん、僕のベンチを取っている。さすがに溝では自分寝られへんでと思って、どこかに行っている間にベンチを取り返すという。そんな縄張り争いをしていたという話を(メディアに)伝えたら、『久保、ホームレス生活』と書かれた…」

 坂口「同じような感じですけどね」

 久保「まあそうなんですけど。この1週間があり、父親としゃべらないようになったというのが、一番の僕の人生のターニングポイントですね」

 坂口「仲直りはしたんですか」

 久保「大学も辞めるつもりやったんで。ボクシングも絶対やらへん。それで1カ月、こんなに人生寝れるんやなっていうくらい寝たきり生活になって。それで、大学の先輩から連絡があって、めっちゃ説得されて、嫌々一人暮らしの東京に戻った。卒業まで1年間、父親とは一切しゃべらなかったです。その間、自分はボクシングをするつもりはなかったんですけど、『やっぱり自分にはボクシングしかできない』と思う1年間でもありました」

 坂口「離れたことで逆にそう感じた」

 久保「そうです。高校生の時に死ぬ気でできていた時があったので、その時みたいに自分を追い込むことができるかって決断をするのに1年間かかった。1年間迷って、それでプロになると。その時もまた父親と衝突がありました。でも今は応援してくれる仲にはすごくなっています」

 坂口「衝突とは、反対されたんですか」

 久保「『そんな一回辞めた人間には絶対無理や』と言われました。あと、何も言わずプロになるというのもあったんで。いきなりなると、全部決めてから言ったんで」

 坂口「何も相談せずにということですか。でも、今は仲が良い」

 久保「仲がいいというか、連絡してきたらウザいなとは思いますけど。まあ一番の良き理解者ではあるんじゃないですか。そうは思っているんですけど、素直になれない自分もいるんで」

 坂口「素直にならないと。たった一人のお父さんですよ」

 久保「そうですね。そうやと思うんですけど」

 坂口「でも、そんなエピソードがあったとは。ホームレス生活」

 久保「あのままずっとホームレスなるんちゃうかなと思う自分もいたんで」

 坂口「食事とかはどうしていたのですか」

 久保「ギリギリまだお金があったんで。洗濯とお風呂は、コインランドリーもあったし、銭湯もあったので」

 坂口「結構面白いエピソードですね」

 久保「僕としては面白くなかったんですけど…」

 坂口「ネタとしたらいいと思いますよ」

 久保「この前も子供の前でしゃべったら、そこでウケてくれたんで」

 坂口「大事なネタですね(笑い)」

 以下(2)に続く。

  ◇  ◇

 ※1 父・憲次郎さんは元アマチュアボクサー。高校総体にも出場した。

 ※2 スタミナ強化、足腰鍛錬のための毎朝のロードワークはボクサーの基本。世界戦を戦うレベルの選手であれば、10キロ程度は毎朝走る。

 ※3 後に進学する南京都高(現京都広学館高)。ボクシングの強豪として知られ、久保以外にもWBC世界バンタム級王者・山中慎介(帝拳)、ロンドン五輪男子ミドル級金メダリスト・村田諒太らを輩出。

 ※4 東洋大。南京都高から東洋大は5学年上の村田と同じ歩み。

  ◇  ◇

 久保隼(くぼ・しゅん)1990年4月8日、京都市出身。元アマチュアボクサーの父憲次郎さんの影響で中学2年からボクシングを始める。南京都高(現京都広学館高)3年でインターハイ準優勝。東洋大を経て13年5月にプロデビュー。15年12月に東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得し、2度防衛。17年4月に世界初挑戦でネオマール・セルメニョ(ベネズエラ)を11回TKOで破り、WBA世界スーパーバンタム級王座を獲得。戦績は12戦12勝(9KO)。身長176センチ。左ボクサーファイター。

 坂口佳穂(さかぐち・かほ)1996年3月25日、宮崎県串間市出身。小学1年から中学3年までバレーボール部に所属し、高校時代はダンス部に所属。同時にタレント活動も行い「BSブランチ」(BS-TBS)で「BSブランチガール」を務めた。14年4月に元ビーチバレー日本代表監督の瀬戸山正二氏理事長を務める「川崎ビーチスポーツクラブビーチバレーアカデミー」に入り、ビーチバレー選手として活動を始める。武蔵野大法学部政治学科在学中。今季のジャパンツアーは5位が最高。身長172センチ、体重58キロ。

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