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元巨人ドラ1横山氏 余命3カ月の危機を乗り越えて 妻と歩む第2の人生

元巨人ドラフト1位の横山忠夫氏=東京・豊島区の手打ちうどん「立山」
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 池袋駅から徒歩で1分。元巨人・横山忠夫氏(68)が経営する手打ちうどん屋「立山」は、開店から35年目を迎えた。

 71年ドラフト1位で巨人入団。右腕から威力ある直球と落差の鋭いフォークを投げ、4年目に8勝をマークした。その後は成績が低迷し、77年に戦力外。ロッテで1年プレーした後、引退した。

 「大好きな野球に関わっていると、いつまでも後悔してしまう」。野球界への未練を断ち切り、うどん屋への転身を決意。巨人時代の先輩、堀内恒夫氏の紹介で「手打ちうどん 銀座木屋」に入店した。そして、3年間の修行を経て独立した。

 経営も軌道に乗り、順調だった第2の人生。狂いが生じたのは99年、49歳の時だった。まず、大腸がんが発覚。その3年後に肝臓がんが見つかり、再手術した。その7カ月後、肝臓に別のがんが見つかった。

 3度目のがんは、さらに命の危険を脅かすものだった。「肝細胞がんというもので、肝臓の中に数がいっぱいできるがんだった。手術もできなかった」。抗がん剤の効果も見込めず、治療方法は生体肝移植のみ。医師からは「移植をしないと、余命は3カ月から半年」と宣告を受けた。

 ドナーとなったのは妻・敦子さんだった。肝臓の3分の2も移植する大手術。当然、ドナーにもリスクを伴う。敦子さんは「私しかいないわね」と気丈に振る舞っていたが、横山氏は「元気な身内の体を傷つけていいのか」と深く思い悩んだ。

 背中を押してくれたのは、堀内氏だった。「お前、死んじゃおしまいだぞ。俺も協力するから家族の申し出を受けろ」。家族、そして堀内氏に説得されて移植を決断。横山氏は「あの言葉がなかったらあきらめていたかも」と、振り返る。

 移植から16年。夫婦二人三脚でうどん屋の経営を続けるが、横山氏の生き方は変わった。もともと大の酒好きだったが、移植後は断酒。「もらった肝臓を痛めることはできない」。敦子さんとの何気ない日常に、感謝するようになった。

 現在、母校・立教大野球部のOB会長も務める。昨年は全日本大学野球選手権での59年ぶり優勝に立ち会い、選手と一緒にオープンカーで豊島区内をパレードした。「本当に生きていて良かった」。苦難を乗り越え、幸せな毎日を送っている。(デイリースポーツ・佐藤啓)

 ◆横山忠夫(よこやま・ただお)1950年1月4日、68歳。北海道出身。網走南ヶ丘高校から立教大を経て、71年ドラフト1位で巨人入団。長嶋茂雄監督が就任した75年は、先発ローテに入り8勝を挙げた。77年に巨人を退団。78年はロッテでプレーし、同年に引退。通算70試合の登板で12勝15敗、防御率4・64。

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