【野球】戦力外通告からの古巣への電撃復帰、引退 ヘッドコーチとして日本一にも貢献 元ヤクルト宮出隆自さん
投手、野手として17年の現役生活を送った宮出隆自さん(48)は、プロ入りから13年を過ごしたヤクルトからトレード移籍した楽天で2年を過ごしたが、2010年オフに突如、戦力外を通告された。現役続行の危機に立たされたが、即座に獲得に名乗りを上げてくれたチームがあった。古巣のヤクルトへ、3シーズンぶりの復帰だった。
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2010年12月3日。通い慣れた都内の球団事務所で、宮出さんはヤクルトのユニホームに再び袖を通した。同時期に入団が決まった浜中治氏(阪神-オリックス)とそろっての会見。その顔からは、喜びがにじみ出ていた。
「育ててもらった球団ですし、小川(淳司)監督、コーチ、フロントとみんな知ってる方ばかり。少しでもチームのために頑張りたい。ヤクルトに返してもらってうれしい」
当時の紙面に残されているコメントは偽らざる心境だ。小川監督は、投手から野手へと転向して2軍で必死にバットを振っていた当時、辛抱強く試合に起用してくれた監督だった。
09年の開幕前にヤクルトから楽天にトレード移籍して2シーズンを過ごし、秋季キャンプにも参加していたが、10月下旬に戦力外を告げられた。
「1カ月前に戦力外を言ってくれるとよかったんですけどね。でも、すぐに電話がかかってきたんです。ヤクルトに声をかけてもらって戻れたんです」
33歳での電撃復帰の経緯を宮出さんは回想した。トレード移籍を告げられた時は寂しさから涙の別れとなったが、今度は笑顔での復帰となった。
復帰元年は28試合に出場し打率・300。2年目は3年ぶりに本塁打(通算3本)も放つなど持ち前のパンチ力も発揮していたが、球団から次のステージに上がるよう打診があったという。
「8月ごろでした。球団の方から呼ばれて今年で現役を終わって、来年からコーチをやってくれないかと言われたんです。二つ返事で“分かりました、ありがとうございます”と伝えました」
球団からの申し出をすぐに受け入れた理由を、こう説明した。
「現役への執着はなかった。膝も股関節もずっと痛かったので、いつ辞めてもいいと思ってましたし、そういうことに興味もあったので」
何度も故障を乗り越えてシーズンを重ねてきたが肉体は限界を迎えていた。
10月7日に本拠地・神宮で迎えたシーズン最終戦の広島戦。途中出場した宮出さんの最後の打席は二飛だった。試合後、ナインに胴上げされると涙があふれ出た。中日とのクライマックスシリーズ・ファーストステージでは出番が訪れることなくチームは敗退した。
現役生活の終わりとともに指導者としての野球人生が始まった。
2軍打撃コーチを皮切りに、15年からは1軍打撃コーチとして、真中満監督、小川監督に仕えた。20年からの2年間はヘッドコーチとして高津臣吾監督を支えた。
「しんどいですよね。自分のことじゃないですから。でも印象深いです」
ヘッドコーチ1年目に、チームは2年連続の最下位を喫した。自身の役割を省みた宮出さんは翌シーズンを迎えるにあたり、監督とコーチのつなぎ役となることに徹した。そして2021年、チームは高津監督の「絶対大丈夫」を合言葉に連続最下位から6年ぶりにリーグの頂点に立ち、2001年以来の日本一も達成した。
「1年目はうまく回っていないところもあって、このままじゃあダメだと思ったんです。要望をとりまとめて監督に伝えたり、監督も受け入れてくれたりしてくれました。日本一になって本当によかったです」
日本一翌年。宮出さんは再び2軍の打撃コーチに転身し、若手を鍛え上げ、チームを下支えする役割に就いた。そこでの気づきは今につながっている。(デイリースポーツ・若林みどり)
◇宮出隆自(みやで・りゅうじ)1977年8月18日生まれ。愛媛県出身。宇和島東高から95年度のドラフト2位で投手としてヤクルトに入団。2002年から野手に転向。06年に規定打席に到達し、打率・275、9本塁打、59打点をマーク。09年から楽天で2年間プレーしてヤクルトに復帰。投手では49試合で6勝5敗、防御率4・73。通算701試合出場で458安打、216打点、39本塁打、打率・277。引退後はヤクルトの1、2軍の打撃コーチなどを務め、21年は1軍ヘッドコーチとしてリーグ優勝、日本一に貢献。
