【野球】古田兼任監督のもと野手転向5年で規定打席到達→下された新たなミッション「試合に出るためなら何でもやらないと」元ヤクルト宮出隆自さん
ヤクルトで投手として6勝を挙げた宮出隆自さん(48)は、プロ6年目の2001年オフに外野手に転向した。シーズンを重ねながら数字を伸ばし中軸を任されるなど勝負強い打撃で主力打者へと成長。06年シーズンには待望の規定打席に到達したが、その年のオフにチーム事情により外野から三塁へのコンバートを告げられる。「試合に出るためなら何でもやらないと」。必死の挑戦が始まったが、守備の不安は打撃にも影響を及ぼすようになった。
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2006年は野手に転向した宮出さんにとって記念すべき年となった。打者としてシーズンを戦い抜いた証である「規定打席」に初めて到達したのだ。
その年は球団名がヤクルトから東京ヤクルトに変更され、7年指揮を執った若松勉監督に代わって、古田敦也捕手が選手兼任監督に就任した年だった。
3月31日の開幕戦。宮出さんは「6番・右翼」でプロ初スタメンを果たす。8月になると打順を5番に上げて、宇和島東高の後輩である3番・岩村明憲選手、4番・ラミレス選手と強力クリーンアップも形成。「宮出隆自デー」と銘打たれて開催された8月30日の横浜戦では、吉見祐治投手から勝ち越しの8号ソロを放ちチームの3連勝に貢献した。
右翼のレギュラーとして134試合に出場、116安打、59打点、9本塁打といずれもキャリアハイの成績を残している。
「夢中でやっていて、気がついたら規定打席に足りていたみたいな感じでしたね。5番とか6番のいい打順を打たせてもらいましたね」
その前年の05年も右翼手として起用され、ほぼレギュラーの活躍を続けていた。
「もうちょっとで規定打席だったんです。でも、大竹(寛)のシュートを打った時に自打球で骨折したんです。残り全試合に出て規定にギリギリ足りるかどうかって時のケガで、そこで終わってしまった。結構打ってたんですけどね」
9月13日の広島戦(神宮)で左脛骨に自打球を受けて骨折した宮出さんは無念の戦線離脱。試合出場は99試合にとどまったが、打率は・320、打点46と勝負強さを発揮していた。
規定打席に到達した06年は、そんなアクシデントを乗り越えて、消化不良に終わった05年シーズンのリベンジを果たした年でもあった。
外野のレギュラーをつかんだ宮出さんは、06年のシーズン後に大きなミッションを古田監督から与えられる。ポスティング制度で大リーグのデビルレイズ(現レイズ)に移籍した岩村に代わる三塁へのコンバートだった。
「できるやろ、って古田さんに言われまして。試合に出るためなら、何でもやらないといけないのが選手。応えようと思って一生懸命やりましたね。2軍で1、2年試合に出てサードを守ってたら上手になるかもしれないですけど、簡単じゃなかったです」
キャンプ、オープン戦とアザだらけになりながら馬場敏史守備コーチの内野ノックを受けた。
不慣れな三塁での出場は打撃にも影響を及ぼすようになったが、宮出さんに追い風が吹いた。一塁のリグスが4月下旬に故障離脱し、宮出さんは一塁で起用され始めた。192センチの長身は武器になった。
「サードは捕球した後、足を使いながら投げないといけないから、すごく難しかったけど、ファーストは投げなくていいし、体を張ってポンと打球を落として。野手も投げやすかったと思いますよ、的が大きいから」
精神的な負担が減り、打撃状態も上向いた。
「ファーストだったら打てるんです。自然と頭から守備のことが消えて、相手投手のことに集中できるから結果も出ましたね。リグスが故障してくれて助かった、というのが本音でした」
当時の率直な心境を打ち明けた。三塁守備に関しては、のちに守備の達人からかけられた言葉に救われたという。
「宮本慎也さんが、ショートからサードに転向した時に、ボールに合わせる時間がないから、メチャメチャ難しいって言って、『隆自、おまえが安易にできるわけないよ』って言ってくれたんです。スペシャリストがそう言うんですからね」
07年のシーズン終盤に宮出さんはまたも試練に見舞われた。9月17日の中日戦で右手を骨折し翌日に登録を抹消された。111試合に出場したものの、シーズンを完走することはできなかった。
(デイリースポーツ・若林みどり)
宮出隆自(みやで・りゅうじ)1977年8月18日生まれ。愛媛県出身。宇和島東高から95年度のドラフト2位で投手としてヤクルトに入団。2002年から野手に転向。06年に規定打席に到達し、打率・275、9本塁打、59打点をマーク。09年から楽天で2年間プレーしてヤクルトに復帰。投手では49試合で6勝5敗、防御率4・73。通算701試合出場で458安打、216打点、39本塁打、打率・277。引退後はヤクルトの1、2軍の打撃コーチなどを務め、21年は1軍ヘッドコーチとしてリーグ優勝、日本一に貢献。身長192センチ、90キロ。
