【野球】記録続出のプロ初先発初勝利 最後の被弾は金本のトリプルスリー達成弾 元ヤクルト宮出隆自さん6年の投手時代

 ヤクルト、楽天で強打者として活躍した宮出隆自さん(48)のプロ野球人生は投手から始まっている。愛媛・宇和島東高から1995年度のドラフトでヤクルトから2位指名を受けた大型右腕は、入団3年目にプロ初先発でプロ初勝利を挙げた。ただ、その一戦で宮出さんはウイニングボールの受け取りを拒否している。2000年には広島の金本知憲選手に30号アーチを被弾、これでトリプルスリーが達成され、歴史に名を刻むことになった。

 ◇      ◇

 記録尽くしのデビュー登板だった。

 1998年4月22日、神宮球場で行われたヤクルト-中日戦。プロ初先発のマウンドに上がった宮出さんは初回に1点を失った。だが、その裏に驚きの展開が待っていた。

 ヤクルト打線は中日先発の今中慎二投手を相手に日本新の1イニング10連続安打、プロ野球タイ記録の1イニング13得点という打者16人の猛攻。9番投手の宮出さんも左翼フェンス直撃の適時二塁打で記録の一翼を担った。

 「プロで初先発する時に13点が入るなんて、ないですからね。うそでしょって思ってましたね」と振り返る。

 6連敗中だったヤクルトは15-6のスコアで大勝。大量援護を背にした新人右腕は6回途中2失点でプロ初勝利をつかんだが、手放しでは喜べない理由があった。9四球を与えていたのだ。

 「野村監督にすごいお説教されました。コントロールが悪すぎる、もっと投げ込みをしろと。まともな精神状態でマウンドに上がれてなかったんでしょうね。ウイニングボールはもらわなかったです」。悔しさゆえの受け取り拒否だった。

 プロ初先発に先駆けての4月5日のプロ初登板はひそかな自慢だ。巨人との開幕3連戦の3戦目。3番手で登板してスーパールーキーとして注目を集めていた高橋由伸外野手からフォークで空振り三振を奪った。

 「プロで輝かしい成績を残した由伸さんがプロに入って一番初めに三振したピッチャーが僕なんです。誰も注目してないけど僕だけは覚えてます」と笑みを浮かべた。

 高校を卒業後、ドラフト2位でヤクルトに迎えられた宮出さんは将来のエース候補と期待され、1年目に2軍デビューを果たし、2年目の97年には剛腕ぶりを発揮してジュニアオールスター(現フレッシュオールスター)にも出場。イースタンで7勝を挙げ優秀投手にも輝いている。

 満を持して迎えた3年目は初めて1軍の米国ユマキャンプに呼ばれ、先発ローテ入りの期待を受けたシーズンだった。だが、初先発初勝利後に右肩痛を発症して無念の2軍落ち。1軍に定着することはできなかった。

 98年は1勝、99年は主に中継ぎとして登板して2勝。3勝を挙げた2000年のシーズン最終戦は忘れられない登板となった。

 異様なまでの緊張感に包まれた10月11日の神宮での広島戦。3番手として登板した宮出さんは、四回に金本選手に直球を右翼席に運ばれる。30号本塁打-。史上7人目の3割、30盗塁、30本塁打のトリプルスリー達成だった。

 「何球もファウルを打たれた後でしたね。いい思い出になりました」。球史に刻まれた偉業の相手として、宮出さんの名前も残った。この一撃は宮出さんが打たれた最後の本塁打になった。

 チームがリーグ優勝を遂げた2001年のオフ。宮出さんはプロ野球人生の転機を迎える。

 4月に右膝の半月板を痛めて手術を受けたが、その後、投球練習をする度に膝に水が溜まる症状に苦しめられていた。

 「踏ん張れないし力も入らなかった。これじゃあ投手としてダメだなと思っていたら、球団から野手になるかという話があって。もう即決でした」

 6年の投手人生に区切りをつけるのに迷いはなかった。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 宮出隆自(みやで・りゅうじ)1977年8月18日生まれ。愛媛県出身。宇和島東高から95年度のドラフト2位で投手としてヤクルトに入団。2002年から野手に転向。06年に規定打席に到達し、打率・275、9本塁打、59打点をマーク。09年から楽天で2年間プレーしてヤクルトに復帰。投手では49試合で6勝5敗、防御率4・73。通算701試合出場で458安打、216打点、39本塁打、打率・277。引退後はヤクルトの1、2軍の打撃コーチなどを務め、21年は1軍ヘッドコーチとしてリーグ優勝、日本一に貢献。身長192センチ、99キロ。

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