【野球】開幕スタメン途切れた年に通告された戦力外「自由契約にしてください」直談判した元広島の西山秀二さん

 開幕戦のスタメンに名前を連ねることは選手にとっての栄誉である。90年代に広島の正捕手として活躍した西山秀二さん(58)は、長年にわたってその栄誉に浴してきた。だが、11年続いていた開幕スタメンが途切れた2004年のシーズン後に、球団から戦力外を告げられた。87年のシーズン途中に南海からトレード移籍して18年。西山さんは広島を去り、他球団で現役続行の道を探る決意をした。

 ◇     ◇

 西山さんが初めて開幕スタメンに起用されたのは1993年だった。前年の92年まで達川光男氏がその座を守っていたが電撃引退。2番手捕手として活躍していた西山さんが正捕手となり、そこから11年連続して開幕スタメンのマスクを被り続けた。

 「なんぼ調子が悪い時でも開幕戦は出場していましたね。その後、調子が悪くて替えられたりはしてますけど」

 そう述懐する。

 ただ120試合に出場した2001年を最後に試合数は減少していく。02年は87試合、03年は60試合の出場にとどまった。5月ごろからは、若手の石原慶幸捕手(現広島コーチ)が起用されるようになり、西山さんの役割は変化していった。

 「そのころはほとんど試合に出てないんですよ。永川(勝浩)が投げる抑えのところで一緒に出て、九回の守りに就くというのが多かった」

 西山さんに代わって石原選手がプロ初の開幕スタメンに起用された04年は、さらに厳しいシーズンになった。

 「夏前ぐらいに体調を壊して抹消されたんですよ。へんとうが腫れて熱を出した。首脳陣から(ベンチ入りの)キャッチャーが2人になると厳しいから、いったん抹消すると言われました。10日で戻すからという話だったんですが、そのままずっと放っておかれた」

 球界再編によって激震が走ったその年、チームの選手会長を務めていた西山さんはグラウンドではなく、会長としての仕事をするよう求められることになったという。「もうええから、会議に行っていて、というような感じやった」

 結局、その年の試合出場数は1軍に定着して以降、最少の22試合に終わり、西山さんは球団から戦力外を告げられた。

 広島の捕手史上初めて規定打席に到達して打率3割を達成するなど、打てる捕手として長年にわたってチームを支えてきた功労者。球団は戦力外を通告するにあたって、地元での解説など引退後の仕事の用意をしてくれていた。何年間かネット裏から野球を勉強して、ゆくゆくは広島でコーチとして後進の指導を-。ありがたい青写真が描かれていた。

 だが、西山さんは引退を受け入れることができなかった。

 「なんの前ぶれもなく戦力外って言われたから。僕の中では、あの年は煮え切らん、燃え切らんのがあった。もう1年やりたいという気持ちがあった。だから引退しなかったんです」

 西山さんは広島を出て、他球団でプレーする道を探ることを決意。松田元オーナーに「自由契約にしてください」と直談判した。

 「それはできないと言われましたね。自由契約にしてよその球団に行かせることは、チームとしてできない、広島のファンがそれは納得しないということでした」

 最終的に松田オーナーは西山さんの固い決意を重んじてくれたという。

 「ニシの言うようにしてやれ、どことでも契約できるよう自由契約にしてやれとオーナーに言ってもらったんです。でも、ゆくゆく気づいたのは、片道切符だったということでした。あそこで広島を出るってことは、もう二度と戻ることはないということだったんです」

 広島を去った当時の記憶をたどった。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。

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