【野球】「ビタビタ当たった」同級生右腕と達成したノーヒットノーラン プロ20年で唯一の経験語る元カープ西山秀二さん
1990年代の広島で扇の要として活躍した西山秀二さんは20年の現役生活の中で一度だけ捕手としてノーヒットノーランを経験したことがある。99年5月8日に本拠地・広島で行われた中日戦。同学年の佐々岡真司投手を偉業達成の瞬間までリードした。「やられたのはいっぱいあるんやけど、それが唯一」と語る一戦を振り返った。
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「ササ」と呼ぶ同学年投手とは、長くバッテリーを組み名コンビとして勝利を積み重ねてきた。最近ではテレビのバラエティー番組やYouTubeなどにそろって出演して遠慮なしのトークを繰り広げる名コンビぶりも人気となっている。
そんな相棒とノーノーを達成したのは、西山さんがプロ14年目のことだった。
「ノーヒットノーランは唯一、その時だけ。やりかけたのは他にもありましたけど。ササの時はうまいこといった。やっぱりすごいうれしかったですよ」と懐かしむ。
その試合、佐々岡投手はキレのある変化球で丁寧にコーナーをつき、抜群の制球力で中日打線をほんろうした。許した走者は1死球と失策による打者2人だけ。103球で快挙を達成した。
スポットライトを浴びるのは当然ながら、投げた佐々岡投手だ。だが、西山さんは捕手としてひそかに喜びをかみしめていた。
イメージ通りに李鍾範を最後の打者に打ち取った場面は、今も鮮やかによみがえる。
「九回一死から(失策による)ランナーが出たんですけど、最終的に遊ゴロでゲッツーを取ろうというイメージの中で配球していった。最後、外のカーブをひっかけさせて、その通りにきちっと終わった。ササがしっかり投げてくれて、思い通りにいきましたね」
西山さんは冗舌に語った。
試合序盤から気配を感じ取っていたわけではないというが「前半からある程度思うように、イメージ通り打ち取れていた。終盤にはバッターの動きを見ながら、こういうふうに餌をまいて、こうやって打ち取ろうとやっていって、それがもうビタビタ当たったんです」
捕手冥利に尽きる一戦だった。
手中に収めたかに思えたノーヒットノーランがスルリと逃げていった試合も別の意味で思い出深いという。96年5月18日の阪神戦(広島)。9回二死までチェコはノーヒットノーランを続けていた。打席に迎えたのは久慈照嘉選手。外野は小兵の久慈選手を迎えやや前進守備を敷いていた。132球目のストレートを投じたチェコは左翼方向へ上がった打球を見て両手を上げてガッツポーズしかけたが、打球は無情にも左中間に落ち二塁打になった。
「やった!と思ったんですけどね。(レフトの)金本(知憲)が全然追いかけてなくて、緒方(孝市)がセンターから走ってきてダイビングしたんやけど届かんかった。あと1人ってところでチェコのノーヒットノーランは消えたんです」
マウンド上でしゃがみこみ悔しがるチェコと同様に西山さんも苦い思いを抱えていた。
「やられたことはいっぱいある。槙原さんには完全試合をされてるし、湯舟さんにノーヒットノーランもされてますから」。球史に刻まれている94年5月18日の巨人・槙原寛己投手の完全試合、92年6月14日に阪神・湯舟敏郎投手に食らったノーノーを西山さんは思い起こした。
ただダメージを引きずることはないという。
「そんなん気にしてたら、野球なんかやってられない。140試合もあるのに。こういう時もある、そういう日もある、って感じですよ」
切り替えが何事も肝要。そうでなければ過酷な捕手のポジションで20年の現役を続けることはできないのだろう。
(デイリースポーツ・若林みどり)
西山秀二(にしやま・しゅうじ)1967年7月7日生まれ。大阪府出身。上宮高から1985年のドラフト4位で南海に入団。87年のシーズン途中で広島にトレード移籍。93年に正捕手となり94、96年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。広島の捕手として初めて規定打席に到達して打率3割をマーク。2005年に巨人に移籍し、その年に引退。プロ在籍20年で通算1216試合、打率・242、50本塁打、36盗塁。巨人、中日でバッテリーコーチを務めた。





