【野球】ストで消えたプロ初先発→エースの登板回避で巡ってきたチャンス プロ野球再開の日にプロ初勝利した元近鉄・近藤一樹さん
近鉄、オリックス、ヤクルトで先発、中継ぎとして19年間活躍した近藤一樹さんは、その後独立リーグで2年間の現役生活を送った。NPBでは347試合に登板し43勝をマーク。プロ初勝利は球界再編によって消滅した近鉄のラストイヤーに紆余曲折の末、つかんだ。プロ野球史上初のストライキ決行で一度は消えた先発登板だったが、プロ野球再開の日にチャンスがめぐってきた。
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「当時の若かった自分は重みを分かってなかったんですよね。合併して球団がなくなっても、どこかで野球をできるだろうって軽い感じで思っていたというか」
2004年に吹き荒れた球界再編の嵐。日大三高からプロ入りした近鉄は、6月に表面化したオリックスとの合併構想によって渦中の球団となったが、21歳だった近藤さんは事態の深刻さを理解していなかったと自身を省みる。
その年の9月、労使交渉が決裂し、プロ野球選手会は70年のプロ野球史上初めてのストを決行。9月18、19日に開催予定だったセ、パ両リーグの1軍戦計12試合が中止となった。
当時中継ぎ投手として1軍に昇格していた近藤さんは、中止となった全12試合のうちの1試合、日本ハム-近鉄戦にプロ3年目で初めて先発する予定だった。
「合併反対運動をしながら、お試し期間のような感じで1軍にいたんですが、中継ぎで結果を残せたことで、札幌で先発しようかと言ってもらえたんです。そしたら、そこがストライキになったんです」
遠征先の札幌で、選手たちは球場に行くこともできずホテルに缶詰めに。「ホテルから出ないでくださいと指示があって、外食もできずでしたね」
試合をすることなくチームは帰阪。近藤さんのプロ初先発は消滅したかと思われたが、予期せぬ展開が待っていた。
2日間のスト決行後、9月20日からのプロ野球再開が決定。しかし、歴史的な試合の先発を担う予定だったエースの岩隈久志投手が登板を回避したのだ。
「肘の張りだったのか、スト中の期間で調整できなかったからだったのかは分からないんですけど、岩隈さんが登板回避をするから、“近藤行くぞ”となったんです。それがなければ、僕の先発はないままで終わってるんです」
本拠地・大阪ドームのまっさらなマウンドに上がった近藤さんは野球再開に歓喜するファンの前で、合併対象のオリックス相手に5回を5安打2失点投球。打線の14点を奪う猛爆の援護も受けてプロ初勝利をつかんだ。
「なんか、劇的というか。いろんな巡り合わせが回ってきた感じはありましたね」。そう回想した。
シーズン終了後の11月に実施されたオリックスと新規参入球団の楽天との分配ドラフトで近藤さんは合併球団のオリックスバファローズ所属が決まった。
「1勝して、ある意味スタートラインに立てたタイミングだったと思います。そこから僕の中ではとんとんと行くつもりではいましたね。でも、つまずいていくんです。1勝の大きさ、勝つことの難しさを自覚できましたね」
近鉄ラストイヤーにプロ初先発初勝利を刻み、順調に進むかに思えた野球人生には、険しい道が待ち受けていた。合併球団で次の勝利をつかむまでには、実に1280日を要することになる。
(デイリースポーツ・若林みどり)
近藤一樹(こんどう・かずき)1983年7月8日生まれ。神奈川県出身。日大三高3年時の夏の甲子園で優勝。2001年度のドラフト7位で近鉄入団。分配ドラフトで05年からオリックスでプレーし、育成契約を経て、16年途中にトレードでヤクルト移籍。18年に最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得。20年オフの退団後、四国IL香川でコーチ兼投手として2年間プレーして引退。NPB19年間で347試合に登板、43勝57敗4セーブ、83HP、防御率4・50。現在は野球解説者、立正大立正高野球部など複数校で指導者としても活動中。





