【野球】DeNAでは下位指名の2選手が首位打者に 独自戦略を展開しスカウト部長として手腕を発揮した巨人V9戦士
巨人のV9戦士として活躍した吉田孝司さん(79)は、敏腕スカウトとしての顔も持つ。巨人で編成部長などを務めたのち、2012年に高田繁GMに請われてDeNAのスカウト部長に就任。深刻な戦力不足に陥っていたチームの立て直しに尽力した。昨年、26年ぶりの日本一に輝いたチームの下地を作った独自の戦略、スカウト業の醍醐味を聞いた。
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4年連続最下位と低迷していた横浜の親会社がDeNAとなった2012年、吉田さんはスカウト部長に就任した。
「めちゃくちゃ戦力がなかった。本当にひどかったから、高田さん、中畑(清監督)と3人で大学、社会人の即戦力でいこうという話をよくしたね」
どん底からのスタートを振り返った。
新体制で臨んだ最初のドラフト。6位で指名したのはセガサミーの宮崎敏郎内野手だった。
「打撃が魅力だった。見に行った時に右中間にガーンとホームランを打ってね。足は速くないし、動きもあまりよくなかったけど、普通にはこなせる。いいんじゃないかと思って自分のリストに入れた。その後、高田さんにも見てもらって。どこも来てないんですよって会話をした」
他球団がノーマークだった宮崎選手は、入団後2度の首位打者に輝くなどチームの主力として活躍を続ける。下位で指名した宮崎選手の成功は、その後のDeNAのドラフト戦略を決定づけた。
「(指名の)後半の5、6位以降に1人か2人、よそのチームはどこも来てない選手を置く。年齢がいっててもいい。27歳でも3年でもやってくれたら。それぐらい戦力がないんだから。とにかく早く動いて、そういう選手を見つける。なかなかいないんだけどね」
上位では大学、社会人の即戦力投手を指名し、下位で他球団のマークから外れている、隠し球的な選手の指名を目指し、年月をかけて戦力アップを図った。
「佐野(恵太)もそうだね、楠本(泰史=現阪神=8位)、蝦名(達夫=6位)も、そういう取り方。どこも来てない。失敗したケースもあるけど、みんな大体やってくれてるね」
チームの主軸を担う佐野選手は16年のドラフトで、当初は予定のなかった9位で指名した。
「佐野のことは担当の河原(隆一)スカウトも僕も買ってた。その年は予算の関係もあって8人の指名予定だったけど、指名が終わった段階で佐野が残ってた。三原代表にどうですかって聞いたら、『1人ぐらいだったらいいよ』って。それで指名できた。佐野が活躍してくれたのは、代表のファインプレーですよ」
声のトーンが上がった。
吉田さんのスカウトとしての原点は巨人時代にある。1軍捕手として19年、その後もコーチとして計30年ユニホームを着たのち、スカウトに転身。最初に担当した選手は、足のスペシャリストとして活躍した、鈴木尚広外野手だった。近鉄も獲得を狙っていたが、せめぎ合いの末に4位指名に成功した。
「尚広は走塁センスはなかったけど、野球センスを持ってたから、自分で体得してスタートを切れるようになった。すぐ骨折したり体が弱かったから、牛乳をがぶがぶ飲めとかよく言ってたね。しょっちゅう電話してた。担当した選手はかわいいし、ものすごく気になる」
吉田さんは巨人で編成部長まで務めたが、一場問題で退任。他部署に籍を置いたのち、2009年に退団。その後、高田-吉田-中畑という気心の知れた巨人OBが集うことになり、DeNAの戦力整備に尽力したのは興味深い。
ただ、サービス精神旺盛な中畑監督に対して、2人の先輩はドラフトの機密情報を“秘密”にしていた。
「高田さんがはっきり言うんだよ。キヨシに言うとしゃべるから言わないって。だから当日、会場で中畑から『ヨシさん、もういいでしょう。誰ですか?』って聞かれて答えてたね」
吉田さんはおかしそうに述懐したが、中畑監督だけでなくチームのスカウトにもドラフトの開始直前まで指名選手は明かさない徹底ぶりを貫いた。強い思いの表れだった。
指名選手の活躍はスカウト業の醍醐味だ。
「ほんとうにね、スカウト冥利に尽きる。でも選手のおかげ。選手が活躍、成果を出してくれたから、スカウトは評価されるんだから。ダメだったらボロカスに言われる。でも面白い、やりがいはあるよね」
長年捕手を務めて磨いてきた観察眼。スカウトとしての経験値。これらが吉田さんの武器となっていった。
「確かな目ではないけど、少しはね。そうじゃないと意味はないよね。だから、スカウトは長いことやった方が絶対いい」
DeNAは5年目の2016年に3位に浮上、19年には2位に入るなど着実にチーム力をつけ、昨年は日本一に輝いた。
吉田さんは2020年のドラフトを最後に勇退した。だが、今も時折球場を訪れ、スタンドから選手たちに温かいまなざしを向け続けている。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇吉田孝司(よしだ・たかし)1946年6月23日生まれ。兵庫県出身。市立神港(現神港橘)から1965年に巨人に入団。V9時代に2番手捕手として活躍し、入団10年目に正捕手に。84年に在籍20年で現役引退。通算954試合に出場、476安打、42本塁打、打率・235。76年の球宴で巨人の捕手史上初のMVP獲得。巨人でバッテリーコーチ、編成部長などを務め、2012年からDeNAのスカウト部長に就任、26年ぶり日本一の礎を作った。





