【野球】梨田監督のもとで才能開花 薬を服用しながらも近鉄の先発でフル回転→オールスター戦初出場「認めてもらって野球ができる」

 元阪神のドラフト1位で独立リーグ山梨のGMを務める山村宏樹さん(49)は、近鉄・梨田昌孝監督からの熱心な誘いを受けて、2000年シーズンから新たな野球人生をスタートさせた。テスト入団1年目から先発としてフル回転し、6勝を挙げ、初めて規定投球回に到達。監督推薦でオールスター戦にも初出場した。消化不良に終わっていた阪神時代の5年間を取り戻すように、右腕をしならせ輝きを放った。

  ◇  ◇

 パ・リーグの豪快でおおらかな空気は、山村さんにとって心地よかった。

 4月9日には早速、大仕事をやってのけた。新たな本拠地となった大阪ドームで、移籍後初先発。ロッテ打線をわずか3安打に抑え、プロ初の完投を完封勝利で飾った。ウイニングボールは自身を拾ってくれた梨田監督に惜しみなく手渡した。

 「やるな、やるなみたいになったけど、あげちゃった」と笑う。近鉄はこの試合が3勝目だったが、2勝は中村紀洋、礒部公一のサヨナラ弾での勝利だったため梨田監督にとっては就任後初めて選手から贈られたウイニングボールとなった。

 移籍初勝利を挙げた翌日、球団スタッフがスポーツ紙全紙を買ってきてくれた。幹部からは「実家に帰って来い。これを持って帰れって言ってもらいました」とプチ休暇を与えられた。山村さんの獲得に熱心だった現場と違い、入団テスト段階では冷ややかだった球団フロントも認めてくれるようになっていた。

 阪神を戦力外になる原因となった自律神経失調症は続いていた。「雨が降る前とか首が腫れたり、具合が悪くなったりはあったんですけど、何かあれば言ってくるように言ってもらっていたので。薬を飲みながらやってましたが、全員承知の上だったので、自分でも楽でしたね。こういう治療に行きたいと言ったら、行ってこいという感じで」

 不調が続く時は、ローテーションを外れて2軍で調整するなど、病気と付き合いながら登板を重ねた。環境が変わったことは間違いなくプラスに働いた。

 「僕はすごいやりやすかったです。タイガースがやりにくいんじゃないですけど」

 言いにくそうに、山村さんは付け加えた。

 移籍したことで、阪神がいかに恵まれていたかも知った。「待遇面とか違いましたね。洗濯物の扱いとか、食事だったりホテルだったり。阪神は試合をやればお客さんが来るし、活躍すれば新聞に載るじゃないですか」

 違いは認識したが、苦に思ったことはないという。「認めてもらって野球ができる、そういうふうになったことが僕はよかった。いろいろ経験できて、勉強できた」。病気をひっくるめた自分をまるごと受け入れてもらえ、好きな野球が続けられたことに感謝した。

 移籍1年目にはオールスター戦にも監督推薦で初出場。元チームメートの新庄剛志と対戦、中前打を打たれたのもいい思い出だ。ファン投票のマークシートには自分の名前も記載されていた。「阪神ファンの人たちがいっぱい投票してくれたんですよ。(自分の)名前を見たら塗ってくれたんです。中間発表の時に上の方にいて、ラッキーみたいな感じでしたね」

 この年、山村さんは27試合に登板し6勝。138・1回を投げ規定投球回にも初めて到達した。チームは6位だったが、パ・リーグの投手成績10位に堂々ランクインした。

 いきなり好成績を残せたのなぜだったのか。「元々、阪神にはチャンスがないというか、難しいところはあった。ずっと投げればできるかもって感覚はありましたけど、ある程度決まった人がいたんです。近鉄はそんな感じもなかったし、コントロールがいい投手もあまりいなかった。環境的にもやりやすかったんです」

 新天地での活躍をこう振り返った。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇山村宏樹(やまむら・ひろき)1976年5月2日生まれ。山梨県出身。甲府工から94年のドラフト1位で阪神に入団、98年9月17日の広島戦でプロ初勝利。2000年に近鉄にテスト入団し、同年にオールスター出場。01年には優勝に貢献し、日本シリーズ出場。04年の分配ドラフトで楽天入りし、2012年に引退。プロ在籍は18年で225試合に登板、通算31勝44敗2セーブ、20ホールド。防御率5・01。今年からBCリーグ・山梨のGMを務める。

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