【野球】現役を終えて気付いた阪神監督からの薫陶「年齢を重ねてから分かる」 99年ドラフト1位だった新監督がチームに伝えていること

 元阪神のドラフト1位で、今年から北海道独立リーグ・石狩レッドフェニックスの監督を務める的場寛一氏(47)。阪神での6年間は故障に泣かされ満足にプレーできないままユニホームを脱いだが、歴代監督との出会いは、その後の人生の大きな財産となっている。球史に名を刻んできた名将たちから学んだものとは-。

  ◇  ◇

 6年間のプロ野球人生で得たものは、時間をかけて的場氏の血肉となっていった。

 「野村監督、星野監督、岡田監督の3人の監督のもとで野球をやらせてもらったんです。現役の時はピンとこなかったんですけど、トヨタ(自動車)に入ってから、ああ、こういうこと言ってたんだなと分かり始めて。桧山(進次郎)さんも同じことを言ってたんです。年齢を重ねてから分かると」

 自身が阪神に在籍した2000年から05年にチームの指揮を執っていた名だたる監督たちを挙げた的場氏は「そういう人のもとで野球をできたのは幸せだなあって思いますね」と感慨を込める。

 野村克也氏が監督だった1999年に逆指名でドラフト1位入団。4月11日の巨人戦で1軍デビューを果たした。この年の1軍出場は11試合、翌年も11試合にとどまったが、ミーティングや試合などで触れてきた“野村の考え”は、その後の野球人生に生かされている。

 「当時はミーティングで長いなあ、眠いなあと思ってたのが、ノートを見返すと気がつくというか。余計に野球が楽しくなって、どんどんトライするようになるんです」

 阪神退団後の06年から所属したトヨタ自動車では後輩らに、野村氏の鋭い観察眼の基となる、物事の見方を伝えたこともあったという。

 「1回試してみたら?と言ったら、面白いですね、大学では教えてもらえませんでした、といった話になって」

 的場氏は続けた。

 「例えば、人間は行動と考えていることがリンクするということ。試合中、たくさんのヒントがグラウンドには落ちている。若いピッチャーが首を振ったら得意なボールやと思えとか。小動物のようにキョロキョロしてアンテナを張って見とけば、弱者が強者に勝てるヒントがある。まさしく本当にそうで、面白いんです」

 自身が監督となって選手と交わした約束も、野村監督から言われ続けてきたことだ。

 「野球人である前に社会人であれ、ということです。あいさつ、元気のよさ、地域のファンのみなさんに愛される選手、チームになろうと。こうして野球ができるのは当たり前じゃないってことを口うるさく言っています」

 野村監督退任後の02、03年に指揮を執った星野仙一氏の時代には、1軍出場はかなわず、18年ぶりの優勝を味わうことはできなかった。だが、チームに浸透していった戦う姿勢は享受した。「闘志とか気持ちがそろった上で、あらゆる情報を使う。丸腰で頭でっかちで情報を持っていても戦いにもならない」。熱い魂は自身が監督をやっていく上で欠かせないものだと自覚している。

 そして、もう1人。的場氏がプロ野球人生においてもっとも影響を受けた人物がいる。入団時の2軍監督であり、戦力外となった05年当時の1軍監督であった岡田彰布氏である。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇的場寛一(まとば・かんいち)1977年6月17日生まれ。兵庫県尼崎市出身。弥富高(現愛知黎明)、九州共立大を経て99年のドラフト1位で阪神入団。通算24試合に出場。2005年に戦力外通告を受け、06年からトヨタ自動車でプレー。3度の日本選手権優勝に貢献。12年の引退後、社業に専念し14年に退社。現在は「くつろぎカンパニー株式会社」代表取締役としてエステやアスリート支援などに取り組み、タレント活動も行う。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス