【野球】江藤智の同点満塁弾、二岡智宏のサヨナラ弾で決めた劇的過ぎる巨人のミレニアムV「29年間で1番の歓声」元NPB審判の住職が回想
常に冷静さを求められるプロ野球の審判。しかし、劇的過ぎる試合展開は時に冷静さを奪うこともある。審判として29年間を過ごし、現在は群馬県館林市の覚応寺住職に転身した佐々木昌信さん(55)が、出場した2414試合の中で最も球場が沸いたと感じた一戦を回想。超満員の観客の中で審判を務める心理状態、正確なジャッジを求められる仕事の難しさを明かした。
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今から33年前の1992年2月。「僧侶の道からセ審判員に」の見出しとともに新米審判の佐々木さんを紹介する記事がデイリースポーツに掲載された。
京都の大谷大学で僧侶となるための勉強をしていた佐々木さんは、記事中で審判となる道を選んだ理由をこう述べている。
「修行の一つだと考えています。ジャッジ一つでベンチから抗議も受けるし、お客さんからの罵声も浴びる。球場全体が敵となり、5万人を相手にしている状況となった場合、どんな心理状態で対応できるのか、自分を見てみたい」-。
かつての新聞記事を懐かしそうに眺めた佐々木さんは、「満員の球場で心臓がどうにかなるんじゃないかと思ったりしましたが、実際にグラウンドに立って集中すると、意外に冷静になる自分がいたりもしましたね」と振り返った。
ただ、あまりに劇的な試合展開に冷静さを保てなかった経験があるという。
2000年9月24日の東京ドームでの巨人-中日戦。ミレニアムVとして語り継がれる、江藤智選手の同点満塁弾、二岡智宏選手のサヨナラ弾で巨人が優勝を決めた一戦である。
「まさか、あんな試合になるとは思ってなかった」。一塁塁審を務めていた佐々木さんは回想する。
優勝マジック1で迎えた試合で巨人は0-4と劣勢に立たされていた。だが、土壇場の九回に大逆襲が始まった。一死満塁と塁を埋めた場面で、江藤選手がギャラード投手の直球を左翼席へ。
「ここでホームランが出たら同点だって思ってたら、球場が沸いて。ドームなんで雰囲気がすごいんですよ。心臓がキューッとなりましたね」
ドラマティックな同点満塁弾に沸き上がる東京ドーム。異様な雰囲気にのみ込まれそうになりながら佐々木さんは「冷静にならないと、冷静にならないと」と自分に言い聞かせていた。
巨人の勢いは止まらない。間髪入れずに次打者の二岡選手は、佐々木さんの責任区分である右翼に劇的過ぎるサヨナラ弾を突き刺した。
「自分の興奮が覚めないうちに、ホームランが出たんです。まずい!なんて思ってたら、球場がウワーッとなって。自分は張り切り過ぎて(打球を追って)全力で右翼へ走ってました」
優勝を決める一発に東京ドームがさらなる興奮に包まれた瞬間の自分を佐々木さんは思い起こした。
「たまに優勝の映像に自分が走ってる姿が出てきます。本当は映り込んだらいけないんです。止まってないと。専門家からすると、なんで審判があんなに動いてるんだ?ってなる。緊張し過ぎてたんです」
右翼に吸い込まれる打球を追った映像の片隅に、深追いする自分が映っていることに反省を述べつつ、「今までで一番ですね。あれが29年で一番の歓声でしたね」としみじみと語った。
阪神の本拠地である甲子園球場も佐々木さんにとっては思い出深い場所だという。
「甲子園は好きだったですね。有名な阪神ファンの女性がいて『あんた大谷大学やろ、お坊さんがそんなジャッジしとったら、あんたが成仏せんぞ』なんて言われたりして。いろんな情報を知ってるんですよ。ヤジもクスッと笑える感じで。関西は面白かったですね」
ただ、巨人、阪神ともに熱狂的なファンが多い球団だけに、判定をめぐるトラブルはいや応なしに注目を集めた。熱烈な虎ファンである関西のご意見番に名指しで批判されたり、4コマ漫画の題材にされたりしたこともあったという。
「セ・リーグあるあるでしたね。巨人、阪神絡みはトラブルが起こると大きく扱われましたね。大学の同級生が『おまえが出てるぞ』と新聞を送って来るんですよ、要らないのに。当時はもう、破り捨てたいような感じでした。今だから面白おかしく言えますけどね」
ミスをすればさらされる。大観衆の中で常に冷静な判断を求められる審判業の厳しさは今も変わらない。
(デイリースポーツ・若林みどり)
佐々木昌信 1969年8月6日生まれ。群馬県出身。大谷大学文学部真宗学科卒。外野手として3年秋に京滋大学リーグでベストナイン選出。1992年にセ・リーグ審判となり95年に1軍デビュー、29年間で通算2414試合に出場。球宴4回、日本シリーズ6回出場。2017年に第4回WBCに日本代表として出場。2020年に引退し同11月から実家である真宗大谷派覚応寺の第18世住職を務める。東都大学野球審判員。