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センバツVの大阪桐蔭 強さの裏に西谷浩一監督の人間力 阪神・藤浪&岩田氏の証言

 記録と記憶に残るセンバツが幕を閉じた。

 近畿勢対決となった決勝は、大阪桐蔭が18-1で近江を圧倒。2018年以来、4年ぶり4度目の優勝を果たした。この試合でも4本塁打を放ち、1984年・PL学園の8本を抜いて大会通算最多11本塁打を記録。同校3度目の春夏連覇に向け視界は明るい。

 個の力が秀でた集団。中学時代から、各地区で名を轟(とどろ)かせ、いわゆる“エリート選手”が集う。寮や専用グラウンドなど、ハード面の充実も選手の成長、強さを支えるだろう。だが、甲子園は一発勝負のトーナメント。勝ち切る難しさに加え、選手にはその“先”もある。大阪桐蔭の強さを支えるのは、西谷浩一監督(52)の人間力だろう。

 阪神の藤浪晋太郎投手(27)は「恩師と呼べる人はたくさんいますけど、西谷さん以上の人には出会ったことがない」と言う。忘れられない言葉がある。2012年8月23日。春夏連覇を懸け、光星学院(青森)と対する決勝戦の朝だった。西谷監督は選手を前に問い掛けた。

 「日本で一番高い山は富士山。2番目に高い山はなんだ?」

 「2番目に大きい湖は知ってるか?」

 誰も言葉が続かなかった。「2番を覚えている人は少ない。必ず一番になれ。監督の言葉は僕の財産です」。プロになって栄光も、挫折も味わった。そんな今でも、思い出す10年前の記憶。それは、藤浪だけじゃない。

 昨季、現役を引退した元阪神の岩田稔氏(38)も、西谷監督の言葉に支えられた。2年冬、I型糖尿病を発症した。I型と2型に分かれるが、一般的に食べ過ぎ、運動不足などが要因とされる2型のイメージが強い。「なぜ?」。強い疑問を抱きながら岩田の両親に連絡し、西谷もすぐ病院に駆け付けた。

 当時はまだ、30歳を過ぎたばかりの青年監督。経験のなさは、寄り添い、共に歩むことで埋めていくと決めた。「それしか方法がなかったんですよ」。西谷は自虐的に笑うが、その日から毎日、病院通いを日課にした。放課後の練習終わりにユニホーム姿のままで直行。当然、面会時間は過ぎていたが、「看護師さんにケーキを差し入れて」許しを得た。講習会にも参加し、病気の理解を深めた。

 内定していた就職先にも断られ、進路も白紙。絶望の淵に立たされたが、西谷監督は諦めなかった。母校でもある関大を候補にした。「関東なら他にもいくつかありました。ただ、食事面を考えたら、家から通える方がいい。それに母校なので、何かあれば私が説明できます」。だが時期が遅く、スポーツ推薦の枠は埋まっていた。それならばと、学校長に頭を下げた。「将来をつないでやりたいんです」。指定校推薦での進学を頼み込んだ。

 こうした姿は、岩田氏らレギュラー選手や、プロ有望選手に限ったことではない。必ず部員全員の進路に責任を持ち、大学、企業にも足を運ぶ。岩田氏はプロでもマウンドに立つ度、「西谷監督の言葉が浮かんできた」と振り返る。「オゥ、岩田、死ぬ気でやってんのか、責任を持って投げてんのか?」。あと一歩で届くという時に病を患い、甲子園出場の夢はかなわなかった。だが、甲子園に出られなかった3年がプロ野球選手として16年、甲子園球場で野球を続ける道しるべにもなった。

 西谷監督は今大会で、自身4度目のセンバツ優勝。PL学園・中村順司監督らと並んでいた春の優勝回数で、歴代単独1位となった。優勝インタビューの第一声は近江(滋賀)のエース・山田陽翔投手に向けた言葉だった。「苦しい中で魂を込めて投げている姿を見て、こちらも絶対負けずにいこうと思いました」。勝ちながら育てる。選手に寄り添い、相手を敬う。OBが語る名将の魅力が、大阪桐蔭の強さの証明だった。(デイリースポーツ・田中政行)

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