【野球】もしあの「踊る本塁打王」がいたら新庄Bボスと“どんな化学反応”を起こしただろうか

 チアガールと踊る日本ハム・ウインタース=1991年
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 もし、あの「踊る本塁打王」がいたら、日本ハムの新庄剛志ビッグボス(49)は間違いなく大喜びしていただろう。

 プロ野球のキャンプインを目前に控え、記録に残る元助っ人たちの話題が、野球界を賑(にぎ)わしている。阪神史上最強の外国人選手といわれ、2度の三冠王に輝いたランディ・バースが、競技者表彰エキスパート部門で当選必要数にわずか4票足らずに、2年連続で野球殿堂入りを逃した。

 また、2013年にNPBのシーズン最多本塁打記録となる60本塁打をマークしたウラディミール・バレンティンが、日本球界から引退することになった-との話もあった。

 この2人はまさに、記録に残る助っ人たちの代表格だが、私には記録より記憶に残る外国人選手がいる。

 91年に日本ハムの担当時にプレーしていたマット・ウインタースだ。「踊るホームラン王」というニックネームを持ち、チアリーダーのコスプレで球場に集まったファンを喜ばせたこともある。だが、パフォーマンスだけでなく日本ハム在籍6年で160本の本塁打を放った正真正銘の長距離砲、大砲だった。

 本人によると「マシュー・リトルトン・ウインタース・ザ・サード」が本名らしい。つまりウインタース三世だ。最初に、その名前を聞かされたときには「君はルパン三世か?」と突っ込んだことを覚えている。

 彼とは同学年ということで名護キャンプ中から気があった。当時、外国人選手はチーム宿舎とは少し離れていたホテルに泊まっていたが、そこに3×3用のバスケットコートがあり練習後、何度か一緒にプレーしたこともある。また、シーズンに入っても、遠征先で何度も焼き肉店やステーキハウスに行った。

 今、考えれば彼のつたない日本語と私のつたない英語でよく会話が成立したものだと思う。彼は94年のシーズンを最後に、日本球界を去ったが、その後もなんとなく関係が続いている。いっときは日本に来ると連絡があり、東京・麻布十番の焼き肉店から六本木の「ハードロックカフェ」をハシゴするコースを楽しんだものである。

 彼からもらった宝物がある。彼がメジャーリーグでプレーした経験は1年しかない。89年にロイヤルズで42試合に出場、2本塁打、9打点、打率・234の成績で終わったが、そのときのベースボールカードに直筆のサインを書いてプレゼントしくれたのだ。たぶん、日本では同じような直筆サイン入りカードを所持しているのは5人といないだろう。

 ファンサービスとパフォーマンスを忘れず、実力もある助っ人…。ウインタースが新庄ビッグボスの下でプレーしていたら、どんな“化学反応”を起こしていたのだろうか。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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