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【野球】予告先発なし日本シリーズ 92年野村克也監督の“奇襲”高野光さん幻の先発

 今年の日本シリーズは予告先発がなく、1992年のヤクルト・野村克也監督(故人)の“奇襲”、高野光さん(故人)の幻の先発を思い起こした。当時、ノムさんは「弱いチームが予告先発したら不利になる。投手をやり繰りするのが、監督の腕の見せどころ」と、言っていた。それを地で行くような起用を考えていた。

 今回のヤクルト-オリックスの日本シリーズは1勝1敗で、23日の第3戦(東京ドーム)を迎えることになった。2戦とも両チームの先発陣が好投、白熱した試合が繰り広げられている。

 熱戦続きで記憶がよみがえってきたのは、92年のヤクルト-西武の日本シリーズだった。初戦の先発はヤクルトが岡林洋一、西武が渡辺久信。第2戦はヤクルトが荒木大輔、西武が郭泰源が先発して1勝1敗。第3戦は10月20日、西武ライオンズ球場で行われる予定になっていた。ところが、この日は雨天で試合が中止となり、翌21日に第3戦が順延となったのだ。

 第3戦はヤクルトがルーキー・石井一久。西武は石井丈裕が先発して、西武が6-1で勝利を飾った。石井一久の先発もある意味奇襲だった。石井一久が高卒1年目で、しかもレギュラーシーズンは未勝利の投手だった。「レギュラーシーズンで未勝利の高卒新人のシリーズ先発登板」は史上初の出来事だったからである。

 だが、雨で第3戦が中止でなければ、予想外の投手の先発することが決まっていた。

 00年11月5日に亡くなった高野光さんである。83年、ドラフト1位で東海大からヤクルトに入団した高野さんはルーキーイヤーの84年4月6日の開幕戦・対大洋(横浜スタジアム)で先発。同年10勝12敗の成績でヤクルト投手陣の一角を占める存在になっていた。

 それから数年の間、遠征先で何度か高野さんと食事をともにしたことがある。私は当時、ヤクルト担当ではなかったが、なぜかヤクルトの選手や他社の担当記者に混じって食事会に参加していたのである。

 趣味のギター弾きで鍛えた歌を聞いた記憶もある。ところが89年に右ひじを故障し、アメリカで靱帯(じんたい)を移植するアメリカでトミージョン手術を受け、その後は厳しいリハビリ生活を余儀なくされていた。

 何か縁があったのかもしれない。ヤクルト担当になった92年に高野さんが復活。4月7日の中日戦(ナゴヤ)で1076日ぶりに復活勝利を挙げた。その日、感極まって男泣きした高野さんの姿を今も鮮明に覚えている。

 8月23日の対広島(広島)では、1214日ぶりとなる7勝目を完投で飾った試合も取材した。通算51勝目だった。その後は故障続きで登板がなく、この勝利が現役最後の勝ち星となった。それだけに日本シリーズの先発した雄姿を目に焼き付けたかった。

 3戦目以降の先発は奇襲なのか、それとも…。ノムさんのまな弟子・高津監督の打つ手が楽しみである。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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