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【野球】炎のストッパー元広島・津田恒実さんの命日 7月20日 臭い仲だったことを思い出す

在りし日の津田恒実さん
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 今年も7月20日を迎える。この日は、私にとって忘れられないアスリートのひとり、元広島・津田恒実さんの命日である。津田さんは1993年7月20日、脳腫瘍のためわずか32歳に若さでこの世を去った。このニュースには頭が真っ白になった。

 彼とはグラウンドを離れても付き合いがあった。実は仲良くなったきっかけを作ってくれたのは、達川光男さんだった。津田さんは「ツネゴン」や「炎のストッパー」といった愛称が一般的だが、私が広島を担当していた当時、呼ばれていたのは「ツネ」または「寛平」だった。

 この「寛平」というのは吉本興業の人気お笑い芸人である間寛平さんのことである。一重まぶたの目が似ていることから、いつしか津田さんは「寛平」と呼ばれるようになっていた。

 ある東京遠征の際、偶然に広島の選手たちと寛平さんが同じ車両に乗り合わせたことがあった。そのとき、達川さんが津田さんを寛平さんのところに連れて行き、並んでもらったところ「やっぱり似ている」という話になったという。

 のちに、私も一重まぶただったため達川さんに呼ばれ、津田さんと並ばされた。そのときに達川さんに言われた「お前たち2人、よう似とるのぉ~」という言葉が、お互い親近感を抱くきっかけになったと思う。

 当時、私は津田さんを「ツネ」または「寛平」と呼んでいた。口ひげを生やしていた私の風貌が、今は亡くなった阿修羅・原さんというプロレスラーに風貌に似ていたため、彼は私のことを「阿修羅」と呼んでいた。

 もう書いてもいいだろう。津田さんの人間らしいエピソードをひとつ紹介したい。1985(昭和六十)年から数年間、津田さんと私は男子高校生のような“秘密”を共有していた。

 当時の古葉竹識監督は有名なたばこ嫌いだった。選手だけでなく、担当記者の私も目の前でたばこを吸うと嫌な顔をされたものである。そのため、津田さんは人前ではたばこを吸っていなかった。だが、試合前にリラックスするため、たばこが吸いたかったのだろう。そこで2人で考えたのが、トイレで隠れてたばこを吸うことだった。つまり臭い仲だった。

 当時、カープの本拠地・広島市民球場の正面を入り、三塁側ベンチにいく通路に関係者用の男性トイレがあった。試合30分前にスタメンが交換されるや2人でトイレに集合し、一服するのが日課となった。

 私が彼のたばこを預かっていることも多かったが、通常は水洗タンクの上に、たばことライターを隠していた。そして大の大人2人が隠れてコソコソとスモーキングタイムを楽しんでいた。3年以上続いた“儀式”だった。たまに私が仕事の関係で集合時間に遅れると、若い用具係の人や若手選手が「津田さんが“重要な話があるから、早く来い”って言ってます」と呼びに来たこともあった。

 彼は伝説の野球選手であるが、血の通った人間である。だからこそ人に愛されたし、その姿を忘れたくない。天国から「いい加減にせえよ」との声が聞こえそうだが、彼の人間味あふれるエピソード、まだまだあります。(デイリースポーツ・今野良彦)

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