【スポーツ】オナイウ阿道のハット達成に“アジアの大砲”高木琢也を思う

 FWオナイウ阿道(25)のハットトリックに“アジアの大砲”高木琢也(53)のことを思い出した。6月15日、大阪・パナソニックスタジアム吹田で行われたワールドカップ(W杯)カタール大会アジア2次予選で、キルギスを相手に代表初スタメンのオナイウが3点を挙げて、日本代表を勝利に導いた。

 W杯予選のハットトリックは史上6人目で、過去にはFW三浦知良、MF本田圭佑などそうそうたるメンバーが名前を連ねている。その中で思い出深いひとりに6月1日にJ2・SC相模原の監督に就任したばかりの高木琢也がいる。

 国際Aマッチに44試合出場し、27ゴールを挙げている名FWは、1997年3月に行われたW杯フランス大会アジア1次予選のマカオ戦、ネパール戦と2試合連続でハットトリックを達成。それ以降の活躍も期待されたが、1ゴールした同年11月8日、国立競技場でのアジア最終予選・カザフスタン戦を最後に代表に呼ばれることはなかった。

 高木と最初に会ったのはサッカー担当になる以前、プロ野球の横浜(現DeNA)担当記者の93年のことだった。ある移動日に、遠征先の広島で知人と食事をする約束をしていた。その知人が連れてきて引き合わせてくれたのが、当時サンフレッチェ広島でプレーしていた高木だった。

 その後、97年にサッカー担当記者となり、代表チームの取材で会うことが増えた。実は、このとき高木に関して考えていたことがあった。もし、高木が最終予選の代表メンバーに入り、11月16日にマレーシア・ジョホールバルで行われるアジア第3代表決定戦に出場。フランス大会出場を決めた場合、感動を読者に伝える手記を頼もうと思っていたが、実現しなかった。

 高木は98年、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)に移籍。代表の取材で会うことはなくなったが、プライベートで何度か会った。彼は真面目でしかも家族思い。話題は現在、J2松本山雅でDFとしてプレーしている長男・利弥(28)のことが大半だった。当時、彼が乗っていた車のナンバーを利弥の誕生日にしていたほどの子煩悩だった。

 日本代表としてドーハの悲劇をベンチで目の当たりにした。フランスW杯出場の夢もかなわなかった。だが、痛みを乗り越え、豊富な経験を生かし、指導者の道を着実に歩み続けているのは頼もしい限りである。

 オナイウは苦難を乗り越えての代表初ゴールだったと聞く。だが、まだまだ先がある。彼には持ち前の身体能力を生かし、高木がなしえなかった、アジア最終予選での活躍を期待したい。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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