【スポーツ】鬼の貴乃花を生取材 今よみがえる20年前の夏場所優勝決定戦

 20年前のあの日、土俵には間違いなく鬼がいた。“鬼滅の刃”でも倒せない、貴乃花(48)という鬼が。2001年5月27日。第65代横綱貴乃花が、現役最後の22回目となる幕内最高優勝を決めた、大相撲夏場所千秋楽の優勝決定戦。土俵上には、口から血の塊を飛ばし、鬼気迫る表情の鬼が仁王立ちしていた。

 当時、相撲担当記者だった私は息を殺し、その形相をぼうぜんと眺めるしかなかった。219キロの横綱武蔵丸を左からの上手投げで土俵に転がし、勝ち名乗りを受けた鬼は泣いていたのか、笑っていたのか。1面で記事を書いて以来、その答えは今も分からない。ただ、その場に立ち会えたのは記者冥利(みょうり)に尽きた。

 今年も夏場所(9日初日・両国国技館)がやってくる。今は相撲担当記者を離れたが、毎年夏場所になると、あの貴乃花の姿が脳裏によみがえってくる。私にとっても長い長い24時間だった。

 前日の十四日目、大関武双山に突き落とされて右膝を亜脱臼し、千秋楽は出場さえ危ぶまれていた。父であり師匠だった故二子山親方(元大関貴ノ花)は休場を勧めたが、貴乃花は「ファンのために出たい」と直訴。その強硬な姿勢に最後は故二子山親方も「とにかく(千秋楽は)相撲を取る」と折れるしかなかった。

 土俵人生を左右しかねない大けがを抱えながら、テーピングさえも断った。その頑なさを当時「今の時代にはそぐわない」と書いた。場所前の5月6日、明大中野高相撲部出身者の激励会に出席した貴乃花は、故河島英五の『時代遅れ』を熱唱し、活躍を誓っていた。その歌が土俵上の姿にダブったからだ。

 本当によく相撲が取れたと思う。前日の取り組み後、応急処置をした相撲協会専属の中元皓希与トレーナーは、テレビで貴乃花の姿をみて「本割のそんきょの際、右のひざのすき間から半月板がはみ出したような感じがした。普通なら相撲は取れない」と話した。土俵下に審判として座っていた故九重審親方(元横綱千代の富士)は、仕切りの最中に「痛かったら止めろ」と忠告したほどで、本割は勝負にならなかった。

 だが、決定戦では奇跡が起こった。国技館は座布団が舞い、場内は歓声と拍手で揺れた。当時の小泉純一郎首相は内閣総理大臣杯を授与する際に「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と絶叫した。

 貴乃花本人は優勝後の取材では顔は上気していたが、いつものように沈着冷静だった。「みんなが支えてくれましたからね。自分を信じて土俵に上がっただけですから」と淡々とした口調で語った。貴乃花は貴乃花だった。

 右膝の大けがの代償は大きく7場所連続休場し、2003年の初場所中に引退を余儀なくされた。その後、一代年寄・貴乃花となって後進の指導に当たっていたが、ゴタゴタの末、相撲協会を退職したことは記憶に新しい。

 貴乃花のことをいろいろ言う人がいる。擁護するつもりもない。だが、あの日の相撲は、今も決して色あせることはない。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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