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【相撲】元横綱武蔵丸の武蔵川親方 50歳で半生振り返る「ちゃんと酒をやめていたら」

 大相撲の武蔵川親方(元横綱武蔵丸)=デイリースポーツ評論家=が2日に50歳の誕生日を迎えた。現在、日本相撲協会親方衆の中では優勝12回は最多。連続勝ち越し55場所は史上1位。若貴、曙と熱狂の4横綱時代を築いた“マルちゃん”が「半世紀」を語った。

 米国ハワイ・オアフ島出身。高校ではアメリカンフットボールに打ち込み、DFラインの選手。大学からスカウトされるほど有望な18歳が、未知の日本、相撲の世界に飛び込んだ。

 「(日本に来たのが)18歳の6月だったね。もう少しで32年になるよ。50年、早いなあと思う。(当時は)50歳はおじさんのイメージだった。自分が50歳になるなんてな」。電話取材で親方は笑って言った。

 文化も食生活も違い、不安もあったが「好きな仕事をやりにきたんだからね。合わせないといけない」と、常に前向きな性格。「食えないもの食っていかなないと。何でもトライしたよ。嫌いなものも食べられるようになったね」と納豆も今では普通に食べられる。

 師匠の先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は厳しかった。「先代が毎日教えてくれた。強くなりたかったから。師匠の話を聞いて、うまくなった。『一生懸命、努力しろ』って、その言葉だな。(指導者となった)今も、心にあるね」と、師匠には感謝しかない。

 幕下時代は毎日100番は取った。「関取になっても場所中、毎日30番」と猛稽古でぐんぐん出世。20歳時の1991年九州場所で同い年の貴ノ浪(元大関)と新入幕。1994年初場所後に新大関に昇進した。同年名古屋場所で外国出身力士として初となる全勝優勝で初賜杯を抱いた。

 綱とりに何度も挑みながら、ハワイの先輩・曙、貴乃花の両横綱が壁となった。1999年夏場所、5度目の優勝でついに第67代横綱をつかみ取った。ここから、空前の相撲人気、歴史的な4横綱時代が到来する。

 大関32場所で通過は琴桜と並ぶ昭和以降1位タイのスロー昇進。親方は「お酒を飲んだり、ちょっとふらふらしてたかな。ちゃんと酒をやめていたら、もう少し早く上がれたかも。酒をやめて、相撲に集中してやろうと思ったらすぐに上がったな」と豪快に笑い飛ばした。親方は1996年1月に日本国籍を取得。日本人としての横綱昇進だった。

 アメフット時代、負傷した首、左肩が悪化。左四つの型を右差しに変えた。差し手の右の腕(かいな)を返して、寄るスタイルで優勝を重ねていった。

 横綱昇進後は貴乃花に7勝1敗と徐々に上回るようになる。「全然、向こう(貴乃花)の方が強いし、うまいんだからね。これをやろうと思ってもできないよ。俺は当たって前に出るしかない。(右四つへの転向も)押し相撲だけでは勝てなかったから」。ライバルたちに勝つため、試行錯誤し続けた。

 晩年の貴乃花には本割で5連勝。しかし、優勝決定戦は4度、戦い結局1度も勝てなかった。あの、日本中が注目した運命の一戦も敗れた。

 2001年夏場所、右膝に大けがを負った貴乃花と決定戦。異様な雰囲気の中、明らかに相手を気遣っていた。上手投げにゴロンと転がり、V逸。総理大臣杯を授与した小泉首相の「感動した」は流行語になった。

 「運もあるよ」。親方はこの瞬間に関し、多くを語らなかった。その後、7場所休場した貴乃花を一人横綱として待ち続けた。

 「あの人、いつ帰ってくるのか分からなかった。それで久しぶりに帰ってきたからね」。2002年秋場所、両雄が8場所ぶりに相まみえる。12勝2敗で千秋楽、相星決戦。寄り切りでリベンジ。「敗れたままだった。勝って気持ちは変わったものだね。最後、勝って優勝した。うれしかったね」。結果的に両雄最後の対決で、親方にとっても最後、12回目の優勝となった。

 その後、相次ぐように引退した。若乃花、曙、そして貴乃花まで角界を去り、今は自身だけが協会に残る。

 「あの時代(を戦った)、私が残っている。協会のために頑張る気持ち。自分は外国人とは思っていない。そういう気持ち。日本人の気持ちでやっていく」。あの4横綱時代を築いたことは誇り。日本人の心を持ち、相撲界への恩返しを残りの自身の使命とする。

 当時の力士と今の力士は全く違う。「今のお相撲さんに『こいつをつぶしてやろう』という気持ちがない。ハングリーさがないよ。関取もそう。友達みたいな相撲だよ」。当時は4横綱だけじゃない。大関に貴ノ浪、魁皇、武双山、千代大海、雅山、出島、栃東、琴光喜ら。関脇にも貴闘力、琴錦ら本当に強い力士が「つぶす」気持ちでしのぎを削った。

 相撲の取り口も変わった。「引いたり、はたいたり、変化したり。サーカスじゃないんだからね。昔はみんな自分の型があった。そして相撲が激しかったよ。自分の型で勝てるようにならないと。そのためには稽古。1日10番じゃ強くならないよ」。現役力士への叱咤(しった)は熱を帯びる。

 2008年、親方はフラダンスダンサーの雅美夫人と結婚した。末期の腎不全となった2017年4月、何と夫人からの腎臓移植の手術を受けた。

 電話口で親方は「腎臓を移植してくれた人が目の前にいるよ」と、笑った。かけがえのない愛する妻と部屋を切り盛りしている。

 「体が元気じゃないとここまで来られなかった。いろんな人に応援してもらったよ。サポートを受けて感謝の気持ちしかないね」と50年の節目に、周囲の支えに感謝の言葉を繰り返した。

 地縁はなく弟子集めには確かに苦労する。大学、高校、めぼしい選手はなかなか部屋に来てくれない。それでも相撲経験のない子を必死に愛情を持ち育てる。目標は初めての関取を誕生させること。

 部屋を再興して8年。「俺もたまにはテレビ(NHK相撲中継)に出て(関取になった)自分の弟子のことを、いろいろ話したいんだよな」。50歳、ささやかな親方の夢を楽しそうに明かした。(デイリースポーツ・荒木 司)

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