【野球】“木内マジック”は指導者に対しても…常総学院部長が恩師を語る

 取手二、常総学院の監督として甲子園春夏3度の優勝を果たした木内幸男氏が11月末に肺がんのため89歳で死去し、今月の通夜、告別式には大勢の関係者が参列した。歴代7位の監督通算40勝を誇る名将といえば、何といっても“木内マジック”。一人一人の能力を引き出した大胆な選手起用や戦法で全国の高校野球ファンから親しまれた。

 母校を指導する常総学院・松林康徳部長は選手時代にも指導者となった後にも、恩師の魔法に触れた一人だ。高校時代は主将を務めた3年夏の2003年に、「4番・一塁」として甲子園で優勝。入学前は「『身の丈に合う学校に行った方がいいんじゃないのか』と言われた」と振り返るほど、さほど期待された存在ではないところから中心選手の座を勝ち取った。

 定位置をつかんだのも最終学年の春で、キャプテンを任されたのも6月のことだった。主軸を張っていたが、「(監督は)ちゅうちょなく送りバント、スクイズのサインを出せたんじゃないかな」と当時を苦笑しながら思い出す。

 ただ、どんな選手に対してもフラットに競争させる環境を作ってくれたと感謝は尽きない。「ドキドキする子もいれば緊張しない子もいる。それをどういうふうに長所へ変えていくか。それがいわば“木内マジック”」。身に染みた教えはいまも忘れていない。

 指導者として母校に戻ってきても木内氏の一言にハッとさせられた。ある日の練習でのこと。まだまだ実戦形式では試合にならないと判断して基礎的なメニューを課していた中、グラウンドに訪れていた恩師から「(紅白戦を)やらせてみろ」と一喝された。

 渋々ながら受け入れると、自身の予想に反してゲームが成り立った。「ここにいる選手たちは小~中の野球人生の中で100試合はしている」と木内氏。試合勘は最初から備わっている-。恩師からの指摘で、知らぬ間に部員を過小評価していた自分を改めた。

 これを契機に自らも指導者として一皮むけたと実感する。「いろんな方にほめられるようになったんですよ。ノックにしても、言動にしても」。練習試合をした際に、甲子園優勝経験のある監督からも認めてもらえたことが自信となった。

 「選手時代もちょっとしたきっかけで、指導者としてもちょっとしたきっかけでまた成長できた」。直接ほめてくれないところも、また恩師らしい。「(選手に)『こいつ(松林部長)の言うことを聞いてくれれば大丈夫だ』と言ってくれることもあった」。チームは今秋の関東大会で準優勝し、来春センバツ出場が濃厚。聖地での勇姿を天国へ届ける。(デイリースポーツ・佐藤敬久)

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