【野球】不断の努力が生んだ不滅の勲章 阪神から広島に復帰した新井貴浩

 4年前、2016年4月26日。1人の男が大記録を成し遂げた。ドラフト6位以下の大卒選手では、プロ野球史上初の偉業到達、プロ18年目の金字塔。不断の努力は才能を凌駕(りょうが)した。

 いまも脳裏には鮮明に焼き付いている。球場全体から鳴りやまぬ万雷の拍手。歩んできた野球人生と同じように、新井貴浩内野手が打った白球は一直線に左翼線へと伸びた。

 ヤクルト-広島戦の三回、無死二塁。通算2000安打目の打球が、左翼フェンスで強く跳ね返る。両軍から花束を手渡され、スタンドに5度、頭を下げた。プロ18年目、通算2112試合、7966打席目。史上47人目の快挙を球場全体が祝福した。

 「広島に戻れなければ、あるわけなかった」と言う偉業。「なんと言っていいか…。本当にありがとうございます」。こみ上げる思いを抑えながら声を張り上げた。「もう無理だ」と感じたプロ1年目。だが、運命は新井に味方した。FAで江藤智内野手が巨人に移籍したことで「4番・三塁」が空白に。育成急務のチーム事情が新井を育てた。

 光の数だけ影があるように、努力の数だけ流した汗がある。涙がある。03年。阪神に移籍した金本知憲外野手に代わる形で、山本浩二監督から4番に任命された。焦り、力み、重圧で大失速。だが、4番は不動だ。7月10日の阪神戦(広島)。たまったフラストレーションが一気に爆発。観客の心ないヤジに、生涯初めて応戦した。

 次戦の12日・中日戦(広島)。ついに4番を外れ、6番に降格する。練習前に1人、監督室に呼ばれた。

 「新井よ。しんどいか、苦しいか?」

 叱られたわけでも、慰められたわけでもない。だが、涙が止めどなくあふれた。「悔しいし、苦しい。ホッとした気持ちもあった」。どんな過酷な練習にも耐えてきた男が、初めて流した涙だ。終盤戦から4番に戻り、04年も固定。翌05年に本塁打王獲得という形で、指揮官の辛抱、新井の努力は結実した。

 2007年オフ、兄と慕う金本知憲の後を追ってFAで阪神に移籍した。東日本大震災が起きた2011年には、労組プロ野球選手会会長として尽力。出場機会が激減した2014年オフ、球団に自由契約を申し入れた。複数球団が獲得に興味を示す中、真っ先に獲得に動いたのが古巣広島、鈴木清明球団本部長だった。

 FA移籍した選手の復帰。球団では過去に例がなく、内部にも少なからず反発もあった。「どのツラ下げて帰れば…」。何度も電話をかけ、困惑する新井を根気よく説得した。最終的には緒方孝市監督も背中を押した。「僕が全力で守ります」。だが、結果的に守る必要はなかった。必死な姿は若手のお手本になり、懸命な姿はファンの胸を打った。

 節目の大記録で勢いに乗ったチームは、そのまま快進撃を続け、9月10日の巨人戦(東京ドーム)で逆転勝ちし、25年ぶりのリーグ優勝を果たした。新井はこの年、300本塁打にも到達。史上初めて2000安打、300本塁打、リーグ優勝、リーグMVPを同一シーズンに達成した選手にもなった。

 ドラフト6位入団。恵まれた才能があったわけでも、将来を嘱望されていたわけではない。それでも地道な努力は、野球人生の終盤に大きな花を咲かせた。新井はいまでもサインを書く時に、「感謝」の2文字を横に添える。最後までファンを愛し、ファンに愛された男だった。(デイリースポーツ・田中政行)

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