【野球】落合博満 変革を恐れなかったオレ流指揮官

 変革を恐れず、常に高みを追求する人だった。逆説的に言えば、現状維持をよしとしない性格だった。前人未到の3度の三冠王に輝いた元中日監督の落合博満氏。「現役時代は24時間野球のことだけを考えてた」と振り返るが、2004年から8年間の中日監督時代も、野球のことばかり考えていたように思う。

 11年の沖縄春季キャンプ。オレ流指揮官は和田一浩の打撃改造に着手した。打席での構えをオープンスタンスからスクエアに変更。西武からFA移籍後3年目の前年には、打率・339、37本塁打、93打点の成績を残し、チームを4年ぶりのリーグ制覇に導いていた。本塁打はキャリアハイ、打率と打点はともに自身2番目の数字だった。それでも落合監督は改革に踏み切った。

 「今が最高点じゃないんだよ。まだまだ上を目指せる。オレからすれば、まだ直すところ、こうした方がもっと打てるのにっていうポイントがいくつもある。あとは本人がどう取り組んで、どういう風に理解、解釈して、形にできるかじゃないか。ただ、ベンちゃん(和田の愛称)は不器用だから、時間はかかるかもしれない。そんな簡単なもんじゃないし、今年1年は苦しむだろうな。もちろん、オレも手は打つよ」

 その言葉通り、和田は開幕から思うように数字を伸ばせなかった。最初に猛打賞を記録したのは、開幕から36試合となった6月1日のソフトバンクとの交流戦だった。視力低下も重なり、結果としてレギュラー定着後ワーストとなる打率・232、12本塁打、54打点に終わったが、和田はのちに「あのチャレンジは決して無駄じゃなかったし、遠回りしたとも思ってない。いい経験をさせてもらった」と振り返っている。

 調子が下降線をたどる選手にもオレ流指導を施した。荒木雅博が振り返る。「監督がこうしてみろ、と言った通りにやってもすぐには打てない。でも、言われた通りに1カ月やり続けてると、当たり前のように打てた」。打撃論に無数の引き出しを持つ落合監督だが、手っ取り早いアドバイスは選ばず、選手が頭で考え、それが体に染み込み、結果になっていくという指導が多かったように思う。

 07年に史上初の継投による完全試合で53年ぶりの日本一を導き、4度のリーグ優勝も飾った。選手としても、指導者としても輝かしい成績を残した数少ない人物だ。

 中日の監督を退任した翌年の12年。とある関東遠征時に、チーム宿舎から荒木と森野将彦がバットを抱えてタクシーに乗り込み、落合邸でスイングを重ね、指導を仰いだ。これこそが、オレ流変革が根付いた証しではないだろうか。(デイリースポーツ・鈴木健一)

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